有限会社コンサルネット

コンサルネット
“古川水絶えず”というが、このように変化の激しい時代では、このことばは通用しなくなってきた。創業何十年の老舗、名門の上場企業でも黒い噂が出て、同業者の傘下にくだるだけではなく、各業界で合併・吸収・倒産がぞくぞくと起こっている。“量過ぐれば袋破れる”というように、会社の中身と経営の実態が違ってくるとアウトになる。経営は、ひと・もの・かねのバランスだというが、肉体的条件のみ大人であっても、ものの考え方や、することが子供並では、今の時代に生き残ることはできない。
 量と袋の関係について考えてみよう。まず業種である。石炭など、時代に合わぬものを袋に入れていれば中味から腐っていく。また、取り組んでいる業種によって適正規模がある。市場の大きさ、企業活動の範囲を考えて、中味の配分と袋の大きさを考えねばならない。
 第二には、経営者の経営能力である。社長だけでなく、その後継者はどうかによって、袋の大きさを決めるだけでなく、中身の量によっては、袋を小口にして分けたほうがよい。
 第三には、人材という入れ物である。企業は人なりというように、発展成長をつづける会社であっても、それをやりとげる人たち、つまり仕事に適した人が、どの部門にも必要なだけいなければパンクする。
 第四に、コストから袋の大きさを考えねばならない。生産・販売・管理の単位から考えて、どのような袋の大きさが一番原価が安くつくかを考える。
 第五には、資金面からの制約である。個人資本のみにての成長には限界がある。資本調達力によって事業規模はどうだろうかを決める。
 第六は、政府の方針からいってどうかである。中小企業は大きく変わらねばならない段階にきている。合併するか、吸収されるか、系列下にはいるか、自己の力で成長するか、膨張策にブレーキをかけ分散するか。量を減らすか、増やすか。袋の大きさをどのように変えていくか。中味と入れ物とがバランスするようにしていかねば、袋は破れてしまうことは避けられないであろう。
 商売というものは難しいもの。頭だけで覚えて、それで経営を論じてはダメである。従来の経済理論で考えていると、実態はなかなかそのとおりいかない。世の中の、変化のスピードが違うからである。事業があって、それをうまく遂行するために、経営活動や、いろいろな管理が行われる。経営者とか、管理技法というものが先にあって、それから事業活動があるのではない。成功した事実を体系づけ、理論づけしたものが学問である。つまり、それだけ時代に遅れているといえよう。だから本の読みすぎや、頭から、こうでなければならない、というやり方でやると失敗する。経営者や管理者が、いまの経営学とか管理技術の教えのとおりにやろうとすると、それは2〜3年も前のことをやっていることになるのだから、時代にとり残される。人に学ぼうとしているからそれだけのズレができる。われわれコンサルタントの立場でいえば、経営を指導する頭脳的蓄積は、町医者的な個人プレーで、旧態依然たることをやっていれば2〜3年でゼロになるということだ。環境が複雑多岐に変化しているのであるから、そこをうまくもっていくための緊急対策姿勢は、いまの仕事をやっていくために、つねに、どのようにするのが一番よいかと、考えて、考えて、考え抜き、障害となる問題点をつぶしていくようにすることである。
 それから、一番新しく時代にあったやり方が生まれてくる。“はじめにことばあり”とはバイブルの創世紀にでてくる有名な文章である。ことば以前に行動と現実があることを忘れてはならない。行動なり事象を表現するために、ことばが生まれてきたのである。だから、学者が経営をすると、ほとんどがうまくいかないことがこれを証明している。無学の人であっても、その事業に精魂を打ち込み、全身全霊をもって商売を考えているところは立派な業績をあげている。経営とはつねに流動しているものであり、とりまく条件、問題がそれぞれ違うからである。自社にあったやり方をしていかねばならない。それがためには、つねに、なぜこのようなやり方をするのか、目的は何かを考え、ピントのあったやり方に軌道修正をしていくことである。狙いどおりにいかないなら、どこに問題があるか、そしてそれを解決する一番よいやり方はなにか、というように発想し、行動していくことだ。
人間の能力を決するのは、遺伝と環境と教育であるというが、このような多様化する社会にあって、どのように幹部を育てあげるかというと、いままでは素質のあるものを採用しようとした。逆境のなかで生き抜いてきた子、あるいは、きびしい試練を経て地位を獲得したような親戚をもち、付き合っている友人がこれまた立派である人、または、なんらかの大きなショックを受けて悟りを開いた人たちを、個人調査により、みつけだすことは可能であった。いまでは、だれでも採用しなければならないような時代である。そのような人をどう活力ある社員に育てあげるかは、なかなか難しい。
会社という権威のもとでのみ存在価値があり、自分の力ではなくして、その地位とバックによって、人々から恐れられ、敬遠されるような仕組みでの経営のやり方は商売ではなく、虎の威を借る狐的な社員しか育たない。これらをサラリーマンといい、ビジネスマンとはいわない。
ビジネスマンとは、実力がある社員、仕事に生きがいを感じている人たちをいう。与えられた仕事に全力を投入し、目標を定め、これを追求し、それをどうしても実現するために、意地と頼れるものは自分の力のみだという孤独、そのなかで生き抜くためには、やり方、やらせ方がある。
第一に、決めたことは必ず守らせる。次には仕事に秘密をもたせぬこと、すべて公開させる。つねに新しいやり方を考えさせる。
第三には、対決を恐れさせぬことだ。逃げない、負け犬にならない、批判はあえて受けて立たせる。積極的に考えるだけでなく、行動に移す。失敗しても、これがプラスになると考えさせる。自分の能力を信じ、必ずできる、思うとおりになるんだということを、自分自身にいいきかせる習慣をつけさせる。
つねに矛盾点を発見させ、安易な妥協をさせぬようにし、既成のものより必ずよりよい仕事をするのだ、といえば簡単であるが、さて実行となると難しい。
ギリギリ煮つめると、活力の源泉は、“明日あると思うな”という一語につきると思う。明日がないから、もてる力をその日のうちに燃焼しつくす。力いっぱい悔いのない仕事をする。明日あると思う民族には成長はない。明日があるから全力投球をしない、約束をまもらない。日本人はテンション(緊張)民族といわれる。たしかに気ぜわしい民族であり、今日のことは今日のうちにすませたい人たちが多い。
桜の花は三分咲き、五分咲き、七分咲き、満開と、力いっぱい咲くから、見ごろに応じてそれぞれ雅趣(おもむき)があり美しい。日持ちのする花とは美しさがちがう。桜の花のように、力のないものはないだけに、今日一日全力を出して生き抜き、咲ききることだ。
大阪商人のことばに“考えときましょう”という言葉があるが、これはノウという意である。然諾のはっきりしないのは商人ではない。判断力のない経営者や管理者はダメである。もてる能力を集中し、わからねば神頼みまでしても精神を統一して考える。それでもまだ判断しかねるときには、“考えときましょう”などという語は使わない。
今日一日、悔いのない生活と仕事をする。仕事を残すな!やり切れ!それがために全力を打ち込むのだ。いつ死んでも、そして、後を振り返っても、よい仕事をしたなあ、という誇りを感じるような仕事のやり方をする。仕事中心の考え方がそこから生まれてくる。充足感、生きがいというのは、自らの力をいっぱいに出し切ったときに、しみじみ味わう幸福感、満足感である。活力の源泉は、このような仕事に対する取り組み方にあるといえよう。

飛行機に乗るときには、一流の会社を選べという。パイロットも一流なら、機材も一流だからというだけではない。一流のパイロットでありながら、自分の経験と勘だけに頼らずに、必ずチェックリストに基づいて、細心のチェックを行なうだけでなく、機材も念には念を入れて整備点険するからである。
二流・三流ともなると、中古の飛行機をつかうだけでなく、整備技術もまずく、定期点検も怠りがち。また検査基準もゆるい。それにパイロットは自分の腕に頼り、度胸と勘で飛ぶからである。世界の飛行機事故をみていろと、やはり二流・三流の会社に事故は多い。会社もまた同じである。一流の会社の執務や商品には、誤りがない。社員の質がちがう。商品についての考え方がちがう。仕事のやり方がちがう。だから信用がついてくるのだ。商標とか、のれんというのは、この信用のことをいう。商標とか、ブランドは、永年つちかった一流イメージであり、そのような歴史をもたぬ会社では、それに追いつくための超一流主義、すなわち高級化が大切なのである。並みの仕事をやっていると、成長はおぼつかない。超一流の会社を目指すからには、どの部門の仕事も他社と比較して、超一流でなければならない。会社の成長に社員がついていかなければ虚業集団になってしまう。自らが研鑽していく。電話のかけ方一つにしても、応接の仕方、お茶のだし方にしても、みな同じである。いまの仕事のやり方を考え直す。
どのようにすれば、お客に満足を与えるか。見本はどこにでもある。一流百貨店の商売のやり方、一流ホテル、一流会社のセールスマン。テレビやラジオのアナウンス、他社からの電話や手紙。毎日の通勤での車中の広告。JRの整理整頓・指呼点検・・・すべて師ならざるものはない。ただ、そのように目にふれ、耳にきくことがらを、どう自分のものとして、吸収していくか。要は意欲の問題である。
あれは他所のこと、自分とは関係がない、という考えでは成長しない。自ら求めていく。ヒントをえていく。それが自己の能力向上であり、人生を豊かにする生活態度である。会社とは、事業を行うために、志を同じくする同志の集団である。社員の質と、そのチームワークが事業の大きさを決定する。
人間の成長段階には三つある。一つは才能を高める20代から30代、次には信用を得る40代から60代、そして、それからの徳望の年代である。
超一流主義を目指すには、まず仕事についての才能を高めることである。質的な向上をはかることである。そこから信用が生まれ、そして名実ともに超一流への道がひらかれるのだ。すべてのものごとに敏感に反応する。この態度が
必要である。
一流とは、つねに生き生きと清冽な水が流れ、反応が直ちにでる若さのある状態をいうのである。滞ってはならぬ、滞留とは腐敗の始まりである。
毎日毎日少しでも進歩させていくのだ。それが超一流主義への道といえよう。


「人はみな豊かでなければならない」という。どのような豊かさを求め、何のために、日夜、神経をすり減らし、あくせく働いているのだろうか。
中国の古典「易経」は、よりよい生き方、人間の幸せについて、次のようにいっている。
 まず「健康」。人は健康で天寿を全うしなければならない。次に、「経済的豊かさ」。金銭に困らぬこと、つまり、物質的豊かさ。そして最後に「和」。夫婦、親子、兄弟が仲良く暮らすこと、つまり心の豊かさである。と説いている。
 会社に、この原則を当てはめてみると、まず、「生き残る」ことである。どのような環境になっても、企業は潰れないようにしなければならない。ついで、「儲ける」ということ。利益を多く上げること、量よりは質、大きくすることよりは倒産せぬように、儲けるより損するな。の商人の鉄則がここから生まれてくる。最後に、「よき人間関係」とは、労使、取引先、お得意先、地域住民との人間関係を上手く持っていくことである。
 経営者、管理者は経営管理のあり方を誤ってはならない。企業は大きくするよりも潰れないように、そして、永遠に生き残るようにするとなれば、経営理念、長期計画、そして、経営方針のあり方まで違ってくる。