第四十二話「復興を考えるお話、其の五」

 先日、近所に住んでいる生命保険関係の仕事をしている友人のTさんから、「へぇ、そうなの!」と言うお話を聞きました。
 Tさん曰く、「米田さんにも入ってもらっているけど、多くの人に掛けて頂いている『生命保険』、去年の東日本大震災で亡くなった方々に対しては、保険金がすべて支払われるようになったんですよ。震災後一年過ぎた今、九十パーセント以上の受取人へ、支払いが終わりました。」
「ん?」と思った私は「生命保険って、掛けている人が亡くなったら、保険受取人対して、必ず支払われるものでしょう?」と言いました。するとTさんは、怪訝そうな顔をしている私に、詳しい話をしてくれました。
「生命保険には『免責事項』と言うものがあるのです。具体的に言うと『戦争や大規模な自然災害』『自発・故意的な損失』『犯罪行為によるもの』『十分予見可能なものや重過失によるもの』『少額の損害』等には減額されたり、支払われなかったりするのです。これは免責の対象項目すべてを保証してしまうと、支払保険料が高額になってしまうことや、保険金目当ての自発的行為を後押ししてしまうからと言う理由からなのです。ですから、その『免責事項』から考えると、東日本大震災で発生した津波は、その『大規模な自然災害』に該当するはずですから、保険金は支払われないことになるのです。」
 それが何故、この地震の津波で亡くなった方々には支払われるようになったのか?Tさんはこんな風に言います。「被害規模の大きさと、残された家族の人達の今後の生活などを考慮して、生命保険協会と管轄官庁の金融庁で話し合ったのです。話し合いの結果、震災の五日後の三月十六日には、特例的に被災されたり、亡くなられたりしたすべての保険加入者に保険金を支払うことにしたのです。」
 それに先駆けて三月十一日の地震発生から三日後の十四日には、各生命保険会社は被害状況の確認作業に繋ったのです。とは言っても停電で電気はない。パソコンや固定電話も、携帯電話さえも使えない状態でしたので、Tさんの会社では、供給量の少ないガソリンの事を考えながら、顧客と担当者の関係を無視して、ブロック毎に土地勘がある者を決めて、直接現地まで調査に行かせたそうです。
 震災直後の被災地での顧客生存確認の作業は、想像を絶するものだった様です。避難所では避難者名簿で確認すると共に、出入り口から避難者に向かって「○○さん、いらっしゃいませんか?」と呼びかけをしたり、また何もかも無くなった被災住宅付近まで行き、近くで探し物をしている人たちに「ここに住んでいた○○さんは、今どちらにおられるでしょうか?」と聞いて回ったりもしたそうです。何度も何度も同じ場所に行ったそうです。そして、その確認作業に行く時は、本社や関係機関から送られてきた『支援物資』も運んだのです。
 土地勘の有る人が被災地を回りますから、知人・友人が避難所にいる事も有ります。中には、懸命に避難者の為に働いている、役場職員の友人もいます。彼らは自分の家族や被災した自宅も顧みることなく、被災者のために働いていました。被災者に支援物資や食料を優先的に割り振るので、ほとんど飲まず食わずの状態で働いている役場職員の方も居られたのも事実だったそうです。何度も避難所に行くうちに、そんな友人を見るに見かねたTさんは、ある日その友人に、個人的に用意した『食糧』を手渡しました。それを見ていた避難所にいる人で、「それは、賄賂か!」と、大きな声で言った方がいたそうです。避難生活で心も荒んで来ていた頃です。「個人的に準備したものを、ろくな食事もせずに、皆の為に仕事をしている、昔からの友人に渡して何が悪い。」Tさん思わず声が大きくなったと言います。
 そうした事も有りながらTさんの会社では、約一年で顧客すべての安否確認を終えたそうです。
 本来『保険』は、保険を掛けている人か、その方の家族などが自発的に保険会社に申請して保険金を受け取るものですが、今回はどの生命保険会社も自らお客さんの生存確認をして回り、保険金の受取該当者が亡くなっている場合は、親戚などにまで支払いをしたそうです。行方不明者に関しては、不明になってから一年以上過ぎないと通常、保険金は支払われないのですが、今回は震災後三ヶ月で支払いを受ける事が出来る様に、政府に要請したのです。その結果、この一年間で約二万件、千五百億円以上の生命保険金が被災者の手元に渡ったようです。
 そのお金は、生命保険会社ですべて賄われたわけではなく、公的資金も含まれているようです。しかし、これらの『幸福』を思って支払われたお金が、一部の『不合理』を招く事にもなったのも事実です。
2012.06.15:米田 公男:[仙台発・大人の情報誌「りらく」]