第三十七話「親孝行・子孝行を考える」

『明けまして、おめでとうございます。』
 今年に限っては、この言葉を使う事に多少の違和感を覚えます。お分りとは思いますが、昨年は、火山の噴火や台風による洪水・土砂崩れ、そして誰も忘れる事の出来無い東日本大震災と、日本中で色々な災害が起こりました。その被害で多くの方が亡くなり、いまだに行方不明の方々が居られる事を思うと『おめでとう』とは、なかなか言難い心持ちです。
 しかし、それでも敢えて『おめでとう』と言いたいという欲求が、みなさんの心の中に有るとするなら、それはある面素直な気持ちだし、それ以上に今からの私達には、そう言う心の持ち方が必要なのかな、とも思います。
 そう言えば、一年前の正月はどうだったでしょう?心から新年を祝う事が出来る様な年明けだったでしょうか。社会的には『リーマン・ショック』から続いていた世界経済の行き詰まりで、閉塞感いっぱいの年の始まりでした。
 個人的には、一昨年末知り合いの弁護士の紹介で、『死』を迎えても誰からも手厚く葬って貰えない『路上生活者のお墓』を建立させて頂いたり、朝日新聞のお正月特集記事が『無縁社会』で有ったりしたので、人と人との『結びつき』が希薄になっていることを思わずにはおられない年明けでした。まあ、そう事に対する感じ方は、人それぞれですから「そうだったでしょ!」と決め付ける事は出来ませんが、私は少なからず、不安を持った一年の始まりだったように思います。
 そんな気持ちを大きく変化させた出来事が『東日本大震災』だったのかもしれません。大災害で崩れかけていたみんなの心が、世界中の人達の応援でガレキの中から立ち上がろうとした様に、薄れていた人と人との心の結びつきが『絆』という言葉のもとに、再構築されて行ったように思います。ひどく被災された人の中には、殆ど被害らしい被害も無かった人々から「きずな」と発せられる度に、違和感を持ってしまう方も居られると聞いていますが、日本全体としては、社会の在り方を良い方向に進ませた言葉だと思います。
 ある人が、この震災は『来るべくして来た、災害』と言っていた様に聞きました。こんな風に唐突に言うと、不謹慎に思うかも知れませんが「世の中が行き詰まったとき『天』は、何らかの形で人間に変換の機会を与えるものなのだと。」とその方は言いたかったようです。それは歴史的に見ると『飢饉』であったり、『戦争』で有ったりしたのかもしれませんし、また今回の様な大きな『地震と津波』であったのかもしれません。
 こうした大きな災害が有る度に「○○しておけば良かった」「今度は、○○しよう」などと、誰もが心の底から考えるものですが、暫くするとそんなこともすっかり忘れて、元通りの生活になってしまいます。でも、それではいけないのです。
「何故、自分は生かされているか、考えてみる。」「今、生かされている事実を先祖に感謝する。」「その感謝を具現化する為に『お墓参り』に行く。」
 また、何か有った場合、残していく人に迷惑を掛けないよう『遺言書』を用意しておく。使わなで仕舞い込んである荷物を整理して、出来るだけ身軽にしておく。時間が許せば、兄弟や親族に合いに行く。本当にやるべきことは山ほどあるのです。
 そう言えば先日遊びに行った、関東に有る友人の石材店でこの様な話を聞きました。その石屋さん三浦半島の中核都市の市営霊園の前に店があり、小さな花屋さんも一緒に経営しています。お墓参りの時期になると、石屋よりも花屋の方が忙しく、石屋さんだけではお客さんの対応が出来なくなるようで、花屋の店番をお願いしている女性がいます。その方のお義父さんは数年前に奥様を亡くされたそうで、毎週の様にその市営霊園にお墓参りにこられるそうです。
 お店に顔を出してから一時間以上、長い時は二時間近く山の上の墓苑から降りて来ないそうです。何をしているかは解らないそうですが、多分亡くなった奥さんとゆっくりお話でもしているのでしょう。そのお義父さん、今年でなんと九五歳に成られるそうで、いつもピカピカの軽自動車でお墓参りに来るそうです。
「そんな歳で運転なんかさせて、大丈夫なのかい?」と聞くと「お義父さん、ものすごい健康マニアで、家中に健康器具やトレーニング用品が有って、毎日のように筋トレしているらしいの。」との事。矍鑠(カクシャク)とした其の容姿はとても九五歳とは思えないそうです。普通なら運転することに、とても不安を感じる年齢ですが、筋肉を鍛える為の運動が、思考能力の低下の防止にもなっているようです。
 子供の為に健康を維持するのが親の勤め、それを見守るのが子の勤め。人はいつか死に向かうものですが、生きている間の大事な在り方の一つ『親孝行、子孝行』がここにも、有りました。
2012.01.15:米田 公男:[仙台発・大人の情報誌「りらく」]