第二十一話「今時の葬儀を思う時②」

 今年の梅雨は、長雨も大雨も無く足早に過ぎ去り、近年稀に見る猛暑となっています。
 そんな夏の始まりの頃、我が家のご近所さんの葬儀は、ほんのりとした暖かさを残して終わりました。(八月号の続きを書きます)
 始まりの日は、遅咲きの桜の花が散りきった、黄金週間が終わったばかりの日曜日でした。私ども夫婦が二人で散歩していると、「ヨネダさぁ~ん」とご近所の奥さん(K子さん)に呼び止められたのです。
「こんにちは、お元気の様で。」等と世間話しを始め様としたところ、K子さんからその日は、二年前に亡くなられた息子さんの命日である事を告げられたのでした。
「線香を上げてやって」と言われたので、「それではちょこっと、お邪魔して」とばかりに夫婦で家に上がり込み、お線香を点けさせて頂きました。
 仏壇の前から居間に場所を移し、お茶を頂き始めた頃「ところで今日は、米田さんに折り入って相談があるの」とK子さんが切り出したのです。この辺りから、今回の葬儀他一切の話が始まるのです。
 話の内容はと言うと、ご主人が十数日前に入院し、医者から余命が六ヵ月以内と宣言されたとの事。いまはまだ、週末に家に帰って来る体力が有るそうですが、それも何時まで出来るものなのか?(偶然にもその日は、前日に検査が有った様で、本人の意思で帰宅は止めたようでした)
 二年前、息子さんが亡くなった時は、普通では考えられないような状態だったので、「なぜ私達夫婦だけに、こんな不幸が」という思いだったそうです。その気持ちがやっと癒え、「残された時間を夫婦仲良く穏やかに過ごそう」と話しをした矢先に、ご主人の病気。K子さんの精神は『二度と立ち直れそうも無い位のショック状態』だったそうです。
「でも、何時までもくよくよしている訳には行かない。これからは一人でやって行かなくては!」K子さんは、時間をかけ、ちょっとづつ自分自身を奮い立たせたそうです。
 驚きながらお話を伺っている間も、K子さんは少し興奮した様子で、淡々と話し続けました。
 ご主人から「金銭的な財産はそんなに無いけど、この家と土地とを、確実にお前に残したい。その為に、するべき事をちゃんとしておけよ。」と、病室で言われたそうでした。(ご主人の場合、K子さんの他にも相続人がいます)
そう、ご主人が亡くなるまでにしなくてはいけない事は、結構あるのです。悲しんでばかりは居られないのです。
 K子さんは、思い立ったが〇〇とばかりに、法務局に相談に行ったり、税務署に電話をしたりしたそうですが、今ひとつ解り難い内容だったようです。何人かの知人にも相談したようでが、それも何か、ぴんと来なかったようです。
そんな時私達夫婦が、K子さんの家の前を通りかかったのでした。
「判らん者が何言っても同じだから、まずは弁護士のところに行こう。」私はその場ですぐに、信頼している先生に電話をしました。
「話しは早い方が良い。では、五日後弁護士事務所で。それまでに必要と思われる書類の用意、訊いて置きたい内容を整理して書き出す。」弁護士さんに会いに行く前に、必要と思われる事を、私たちは打ち合わせしました。そのお陰か、五日後弁護士事務所での話合いは、思ったよりスムースに進みました。
 ほんの小さな案件でもしっかり聞いて頂ける先生なので、あらゆる方向から、様々の可能性を皆で考えました。その中から「最善と思われる方法を導き出せた」と思います。
先生との打ち合わせで、実務は司法書士に任せることになり、すぐに最適と思われる司法書士の先生を考えました。「窮すれば通ず」とはよく言ったものか、欲すれば必ず現れるものです。二週間後には必要な書類が出来上がり、その次の週には、何事も無くすべての手続きを終わらせる事が出来ました。
 しかしまだ、一番大切なことが残っています。ご主人に遺言書を書いてもらう事です。
 遺言書は、ご主人の自筆で無いといけません。内容は先生(弁護士)とも話合い、出来るだけ簡潔にした様です。
 病状は確実に進んでいきました。ペンを持つ体力が有る内に・・・
 しかし案ずるよりも何とかでした。ご主人もちゃんと理解されていたのです。
 こうしてお亡くなりになる前に、遺される奥さんに対して、ご主人がしてあげられる事が終わったのです。
 後は、葬儀をどうするかです。
2010.08.15:米田 公男:[仙台発・大人の情報誌「りらく」]