第五十話「知る事の大切さを考える ①」

 今年の『大崎八幡宮 松焚祭はだか参り』は、この数年の記憶に無いような、とても厳しい天候となりました。初参加から三年目の今年、初めて雪に降られ、それも十年振りと言う大雪になり、体の芯まで冷えに冷えると言う体験をしたのです。
 平成二十五年一月十四日。その日の早朝から降り始めた雪は、お昼を過ぎる頃から徐々に激しさを増しました。我々「はだか参り隊」の拠点、花屋『花仙』が有る広瀬通りの歩道も、私の足首まで沈むくらいの積雪になっていました。前日が好天で、暖かい日だっただけに、余計寒さが身に染みます。
 午後三時、約束した時間の少し前に『はだか参り』参加者の皆さんが、意気揚々と集まってきます。まずは、私たちのリーダーである歯科医のM先生。今年は祝日と重なったので、休診日です。名古屋出張から急ぎ帰ってきた、紅一点のエステ会社会長のK子さん。自宅を出る時に奥さん、娘さんに「お父さん、本当に大丈夫?」と言われながらも、東京から新幹線で駆け付けた、乗りの好いKさん。昨年の秋、大阪本社から仙台に転勤になって初めての正月に「何でも経験だ」と『はだか参り』に挑戦するHさん。独身で始めた『松焚祭』も、三年目の今年は、新婚の奥さんのサポートを受ける事となったYさん。そして「気合入りまくりぃ」の私の六人。体調を崩している花屋のHさんは、サポート隊で参加。Yさんの奥さんと共に、K子さんの会社の重役N嬢も、三年連続でサポートをして頂きます。今年三年目のOさんだけは、家族に不幸が有り参加できませんでした。
 みなさんが集る約束時間の、一時間前から雪の様子を見ながら『花仙』で待機していた私は、誰か一人くらいの口から「今日の天気はやばいです」とか「みなさんで話し合って、どうするか決めましょう。」などの言葉が出るかなと思っていたのですが、どなたも集合場所に元気な笑顔で来られると、黙々と準備を始めます。誰一人として「今日、どうします?」などとは言い出しません。
 それは、今年で三年目になる『節目の年』でもあると言う事と、これまで二回、正月仙台の寒さを経験していると言う『こころの強さ』が手伝っているからかもしれません。「するべき事を、整然とこなす」とでも言うのでしょうか、身支度をするうちに、みなさんの顔付きまでも変わってきているのです。
 準備が終わり外に出ると、体にあたる雪を感じます。その雪は冷たいと言う訳でもなく、ただ頭や体を白くして行くのです。「いけるな」私はなんとなく、そんな気がしました。店の前で出陣の集合写真を撮ると、いつもの様に隊列を組み、大崎八幡宮に向かって歩き始めます。
 歩き始めて暫くすると、街行く人たちが携帯電話やデジカメで、私たちの勇姿を写真に収めています。なんとなく誇らしく感じる瞬間です。しかしそのような感覚で行進を続けられるのも、ほんの少しの間でした。八幡宮までの道のりは遠く、時々吹き抜ける冷たい風が、体を震わせます。
 雪の中、前に進みながら、これから起こることが頭に浮かんできます。八幡様に到着してから、極寒の中で『御祓』まで待たされる時間の長さ。お祓いの後、巨大な炎が燃え盛る『御神火』の周りを回り、強い熱気で暖められた体が、帰り道の寒さで冷やされ、出発の時以上に寒さを感じる事。すべてが解っている上での『期待感?恐怖感?』とも言えるような、複雑な感覚です。
「私は、なんでこんな辛い事を、自ら望んでしているのだろうか?」と思ったりもするのですが、それらの、これから襲い来る『辛い事』を全部知っているからこそ、心の準備も出来、挑戦できるのです。
『知る事』の大切さがそこに有ります。我々が生きているこの世の中には、知らないことが山ほどあります。当然、知らなくても良い事もあり、知ってもすぐに忘れてしまう物も有ります。しかし「此処ぞ、と言う時」知っていると言うだけで『不安』は和らぎます。知っていれば、自分の考えた方向に、物事を進ませることも出来るかもしれないのです。社会的な事や法律的な事、病気や死に対すること、何にでも『知る』と言う努力をし、判らない事を少しでも減らし、自分が良いと思う方向に向かいたいと、私は考えます。

 大崎八幡宮から帰ってくると、まず銭湯に行きます。少しぬるめの湯船に浸かると、体中がしびれてきます。寒さで冷え切った肌の神経が、急激な温度の変化に対応しきれないのかもしれません。
 でも、これが『至福の時』なのです。
 これを知っているから、三年目のどんと祭も、自分の気持ちに打ち勝つことが出来たのです。
2013.02.15:米田 公男:[仙台発・大人の情報誌「りらく」]