第四十八話「縁を考える。お話 その二」

 先日、河北新報社一階のホールで、『マイベストプロ宮城・冬の生活相談会』と言う催しが開催され、初日の一番手として一時間余りのお話しをさせて頂きました。
 マイベストプロとは、日本国内二十六都府県の新聞社やテレビ局が運営する『あなたのまちの専門家を探せる、ウェブ・ガイド』です。医療・法律関係・不動産業・カウンセラーなどのあらゆる職種の専門家が、全国で千八百人以上登録されています。私は『冠婚葬祭』の中で登場します。東日本大震災発生後は、コンピューターのこのサイトを通して多くの方から、色々のお問い合わせを頂きました。お墓の修理、建て直し。軽度な補修から、大掛かりな修復工事まで、この仮想空間を通して、多数の『縁(えにし)』を頂き、大いに感謝しています。
 河北新報社の一階ホールで行われた『生活相談会』は、仮想空間だけでなく、専門家(プロ)の話を、直接聞いて頂こうというもので、お互いの顔を見ながらお話しさせて頂ける、貴重な時間となりました。
 今年五月に開催された一回目の『春の生活相談会』に続いての二回目の開催ですが、今回は六人の方からお申し込みを頂き、最終的には三人の方に、河北新報社まで来ていただく事になりました。
 驚いた事に、その三人の中のお一人は、サッカー少年団で私が『親の会』の会長をしていた時に六年生だったの子供のお父さんで、私に逢いに、わざわざ来られたようなのです。
「米田さん、久し振りだね。」少し早めに会場入りして、パソコンの準備をしている私の後方から、その人は声を掛けてきました。突然の事で、誰だか思い出す事が出来ません。顔を見ると、なんとなく昔の顔が思い出されるのですが、なかなか名前が出てきません。後で受付の女性が持っていた名簿と、私の記憶を重ね合わせ、Kさんだと言う事が判りました。十五年前、グラウンドでボールを追いかけながら走っていたKさんの息子は、今はもう立派な社会人になって、東京で会社員をしているそうです。何年振りに為るかな、と思って指を折ってみると、少年団の監督の葬儀でお逢いして以来ですから、八年のぶりの再会です。
「ゆうべ、河北新報を読んでいたら、ヨネさんの写真が出ていたので、話を聞きたくなったんだ。お墓の事で、相談したいこともあったしね。」との事。それにしても、わざわざ時間を作って尋ねて来てくれて、ありがたいことです。講話のあと別室で、三時間近く話し込んでしまいました。その時、Kさんは「これは、縁だよ。」と言っていました。来春には、山形庄内から仙台まで、お墓の引っ越しをするようになると、思います。
 『縁』と言えば、最近「じぞうもじ書家」の、夕深(ゆうみ)さんと知り合うことが出来ました。数年前からお逢いしてお話がしてみたいと思っていましたが、お互いの時間が折り合わず、そのままに為って居ました。そんな事を、なんとはなく東方落語の“今野家世はね”に話したところ、さっさと段取りしてくれて、お逢いして話をすることが出来たのです。その時も夕深さんが、「ご縁が有ったから、こうしてお逢い出来たのでしょうね。」とお話ししていました。
 縁とはこうしたモノなのでしょうか?逢うべくして遇うことになった人は、何処となく似た様な所が有る。夕深さんの力強いが優しさに溢れる文字を、何かの形で「石」の上に現したい。そう思っていた私に、夕深さんは「とても良さそうなモノ(作品)が出来るような気がします。」と言われるのです。私も、是非良い物を創ってみたいと思います。
 今年は年初から、とても大きなお墓の作業に取り掛かりました。それは昨年末現場作業中に偶然出会った方が、出会うほんの少し前、銀行の僅かな待ち時間に、私の「りらく」の記事を読んだ事から、その方の墓地の改修工事を引き受ける事に至ったのです。信じられないような偶然です。その『縁』を大切にしたかった私は、図面造りから、完成まで半年かけ、渾身の逸品を仕上げる事に為りました。
 この様に、ほんの少しのきっかけが、人と人との大きな輪になって行きます。
 そういう意味では、お墓は人と人、人と社会を結ぶ、大切な心の拠り所なのでしょう。今年も『縁』を大切に、仕事に励みます。
 みなさん、よろしくお願いいたします。
2012.12.14:米田 公男:[仙台発・大人の情報誌「りらく」]