第十九話「前人の行動を考える時」

 季節の分れ目がハッキリしている年は、人の流れも、経済の動きも何かハッキリしているような気がします。私が勝手にそう思うのですが、まんざら間違ってもいない様な気がします。今年のように桜が5月の始めまで咲き、未だに梅雨の気配さえない年は、季節が停滞しているのと同じように、社会全体も停滞し、混沌としているように感じます。
 少しばかり昔の話ですが石屋にとってのこの時期は、お盆に向かって建墓の仕事のピークを迎える前段階の、大切な期間でした。雨の日の仕事内容を考えながら晴れた日に現場仕事をこなして行く、如何に効率よく作業を進める事が出来るかでお盆までの成果に繋がったのです。しかしそれは、石屋自身が原石を加工して手造りでお墓を造った時代(約二十年くらい前)の話ですが。
 今は、殆どの墓石は中国福建省(驚く事に世界中のすべてと言える位の墓石用原石が、福建省に在るのです)で生産され、墓石として出来上がったものを指定された墓地に設置するだけですので、石屋としての技量が試されるようなことは殆ど在りません。
 まあ、その石屋に基本的な施工技術が有ると言う条件付で、建ちあがった『お墓』の仕上げが綺麗かどうかと言う『見た目』の良し悪しは有りますが、墓石の強度にはまったく影響は無いと思います。
 今の石屋は、仕事が立て込むと、雨の中でも職人に現場仕事をさせます。昔なら『雨の日は工場で加工をして、晴れたら現場』と言うメリハリのある仕事でしたが、今は、工場での加工作業は殆ど無いので、ただ営業・現場の繰り返しです。自社で図面を引ける石材店なら雨の日も製図の仕事が有りますが、それさえも外注(墓を建てた事が無いような輸入業者が、墓石設計専用ソフトで製作する図面)している石材店は、本当に何もすることがありません。
しかしそうは言っても、昔からの石材店には、それまで培ってきた『信用と信頼』が有ります。自社で加工して来た時の『目』が有ります。
 彼らは『石』とは『どの様に使うものか、どうすれば良いか』を知っていますので、自分で墓石設計ソフトを使って設計をしなくとも、出来上がった図面を見れば、その図面が使えるか使えないかの判断は出来るのです。(出来ない石材店も多々有りますが!)
 最近は墓地に行くと「へえぇ、こんなお墓があるの?」とびっくりする様なデザインの墓石が有ります。「こんな使いかでは、石がかわいそう。」と言う物も有りますし「この墓を、百年以上も拝むつもりなのかな?」と言う奇妙な形をした物も有ります。
 建物の中に仏壇様のロッカーを並べたり、自動収納庫を利用したり、バーチャルで見せたりする『室内墓』と言うのも有りますが、鉄筋コンクリートの建物の耐用年数を考えると、その後はどの様になるのでしょうか?
 何にしても我々が墓を建てる最大にして、唯一の目的は『私を、忘れないで!』『貴方を忘れない!』と言う事ではないのでしょうか。
 人は二度死ぬと言います。一度目は死んだ時、二度目は忘れられた時だそうです。そう、死んだ後も忘れられたくない。残された側も、忘れない様にしたいと、誰もが思っているのです。
 この世に存在した事を永久に残そうとするのは、さすがに無理かもしれません。しかし、家族や友人の記憶の中に、貴方も私も残って行くのです。
 家族の為に仕事をする頼もしい父親、やさしい良い母親、みんなに愛された友達であった貴方の事は、死んだ後でもみんな覚えているでしょう。そしてその記憶を懐かしく思い出す為に私達は、春夏秋冬と年に数回のお墓参りに行くのです。
「後の事は、息子に任せているから」と言われる方があります。如何にも、物分りの良い親の発言と思われますが、本当にそうなのでしょうか?
 戦争が終わったあとの日本。荒廃した日本を再建する為に、私たちの親達が努力し、その後を、団塊の世代と言われるお父さん、お母さんが頑張ってきました。高度成長という波が来て、バブルという夢も見ました。苦労はしましたがその反面、自分の思い描いた様な『夢』を追いかける事も出来ました。
「じゃ、後はまかせたよ!」では無く、最後まで『かっこよく』生きてほしいと、思います。
2010.06.15:米田 公男:[仙台発・大人の情報誌「りらく」]