第十四話「最後の準備を考える時」

 今年の冬は『暖冬』になりますと、昨年晩秋の長期予報で気象庁は発表した様に記憶していましたが、なんとなく例年より肌寒く感じてしまうのは、『私が歳を取ったせい』なのでしょうか、それともこの百年に一度と言われる不況で、お寒くなった『私のフトコロのせい』なのでしょうか?何にしても、この寒さを凌ぐ為には、こつこつ我慢強く日々生活するしか方法は無いようです。
 今年の『成人の日』我が家の三男坊もやっと大人の仲間入りをさせていただきました。これで私たち夫婦の責任も一応、ひと段落かなと思います。息子自身は成人式自体には何の感慨も無く、式の後で開かれた、中学校の同窓会のほうが楽しかったようですが・・・。
 成人式が終わって息子が持ち帰った、町から頂いた記念品が入っている紙袋の中に『選挙権』に関する小冊子と一緒に『ローン・キャッシング Q&Aブック』なる物と『ほけんのキホン』と題した冊子も入っていました。「良い冊子が有るな」と思っていると、この『ほけんのキホン』の小冊子を真剣に読んでいるのは、今日成人した三男よりも、今年の春就職する次男の方でした。
 日頃から次男・三男と話をしていると、もう直ぐ社会人だと言うのに、保険制度や年金についての知識が無いことに驚かされます。(そう言う私も、詳しく保険や年金の事を知っているわけでは有りませんが。)
 知ろうとしている次男はまだしも、そうしたことを考えもしない三男はどうなるのだろうかと考えさせられてしまいます。こうした社会生活に即した内容の実学を、全国の中学・高校の授業に積極的に取り入れても良いのではないかと思いますが、いかがなものでしょうか。(実学と言えるかどうかは解りませんが、現在その様なものを取り入れている学校も有ります。私も中学・高校に自分の仕事の内容を話しに行くと言うボランティア団体の依頼で、現在一年に4~5校の中学・高校に、色々な職業の人たち4~50人と一緒に、子供の前で話をさせて頂いています。私がする石屋の話が、子供達、にどの様に役に立つのかはわかりませんが、後日子供達からは色々な反応の感想を頂いております。)
 聞く所によりますと、アメリカでは高校生に実際の株取引をさせて、『お金』がどのように世の中を動いているのかを体験させる授業が有るとの事ですし、イギリスでは授業の無い週末に、体験学習の一環として子供たちが商店などで働き、その労働の対価としての賃金を受け取っているとの事です。
 まあ、日本とアメリカ・イギリスでは文化も社会制度も宗教観・人生に関する価値観も違いますから、一概に同じ事をすれば良いとは思いませんが、受験勉強ばかりではない、社会体験的な勉強も必要かなと思います。
 次男と保険の一般的な話をしていると、「お父さんとお母さんの保険はどうなっているの」と訊かれました。以前この連載でも書きました様に、私たち夫婦の保険は見直しをしましたので、保険の内容は、私たちが今出来ることに即した、最善の物と考えています。今度はこれをきちんと息子たちに伝える方法を考えなくてはなりません。『遺言状』と言う物も絶対に必要ですが、私たちの財産(僅かですが)や保険、仕事の内容などをフローチャートの様な物で表せないかと、私なりに思案しております。
 それから息子とは、私たち夫婦の葬儀・お墓の話にもなりました。葬儀はいつ来るかもしれません。実際に、呑気に構えても居られない問題です。
 自分で考えた事や、やりたい事が、望んだ通りに進むわけでも無い人生で、自分の最後ぐらい自らプロデュースしても良いのかもしれません。いえ、するべきだと思います。
 まあ今は、ただ漠然と考えたものを、連れ合いや子供に伝えるだけでも良いと考えていますが、近いうちには具体的な何かが必要になってくるでしょう。
そうなるとその手始めは、建墓かな!
 最後の自分達が行くべき場所を具現化することで、『現在』と『来るべき日』の間を、少しでも埋めていくことが出来るのかもしれません。
2010.01.15:米田 公男:[仙台発・大人の情報誌「りらく」]