白鷹町の口取り半纏あれこれ

  • 白鷹町の口取り半纏あれこれ
 ご縁あって白鷹町の秋葉大権現獅子舞の口取りが着用する半纏を拝見した。

大変手の込んだ古い半纏だが、ボカシが入った水色がすっかり退色して判別がつかない。



しかし、地の藍色はしっかり色を保ち、前後に見事な荒々しい波模様が渦まいている。

白鷹の獅子舞で撮影した写真を調べてみると、横田尻の毘沙門天の半纏と類似している。





横田尻毘沙門天の半纏 背中に軍配のタイプ


同じく 背中に門の字タイプ  波模様のボカシが秋葉大権現のものと同様では?



特に波模様に浮かんでいるように見える楓(かえで)は筒描きの技法で緑から黄色、赤と

グラデーションの技術は再現できる染め屋さんが激減している。




秋葉大権現の半纏 カエデ



染めの技術は、原画からシルクスクリーンで版を作り染料をプリントし染める方法が主にな

り、昔ながらの手間のかかる高度な技術が残念ながら失われてしまった。逆に昔は、職人の

熟練した高度な技術が安価に求める事が可能な時代だったのだろう。


白鷹町各地の獅子舞に見られる口取り半纏の文様はどんな特色があり、何を意味しているの

だろう・・改めて見直してみようと考えた。この半纏の様式は、白鷹町だけでなく隣接する

長井市の西根や致芳地区の神社獅子舞にも見られる。また、今年春には朝日町でも確認してい

る。

昨年、荒砥の八乙女八幡神社の倉庫を検分の際、偶然獅子幕を発見し、その中から見事なタコ

の図柄を染め描いた半纏が出てきた事は以前このブログでご紹介している。




http://samidare.jp/shishi9/note?p=log&lid=520153



そして今年の半夏生の獅子舞で、そのタコ半纏を着用されたという。

半夏生の暑い季節にタコを食

べて滋養とする京都の習慣を伝えている事を意味しているのだろう。そもそも白鷹町鮎貝の獅子

舞は京都の獅子舞文化に強い影響を受けていると言われているが、染めの文化や技術も同様だろ

う。





獅子宿燻亭8で京都伏見の「御香宮(ごこうのみや)神社」の神幸祭(10月上旬)の一対の巨大獅

子舞をご紹介している。http://samidare.jp/shishi8/note?p=log&lid=481360

御香宮神社神幸祭2022
https://www.youtube.com/watch?v=gj8YXLPpLc0 

この動画によると、その巨大獅子(60kg以上)を担いで練り歩く(ほとんど走っている)様式で、

特定の場所で獅子を担ぎながら跳ねる所作を行う。このスタイルは高畠や川西町でも見られる。

神輿の露払いで行われる「追い獅子」のようである。御神輿が無くなり追い獅子だけが残った形だ

ろう。また西置賜の獅子舞のような笛太鼓、お囃子が無い。白鷹型の獅子舞は長井の総宮神社と共

通したメロディやリズムであり四股を踏みながら獅子頭を突き上げる形の獅子舞である。

 仮説だが、300年前獅子舞を鮎貝八幡神社に伝えたという宮城助三郎が、京都の御香宮神社系の

獅子舞の形を習い、時代を経て出羽三山の修験の山伏神楽と融合し現在の獅子舞の形に継承されて

いるのではないだろうか? 色々な諸説を考えている。



鮎貝八幡神社の半纏



大瀬稲荷神社の(廃止)半纏

大瀬稲荷神社の別のタイプ



山口稲荷神社 (廃止)

山口稲荷神社 ウロコ柄



佐野原稲荷神社

佐野原稲荷神社 別のタイプ



十王皇太神社の口取りと警護のウロコ柄半纏


荒砥新山神社


朝日町大船木熊野神社の半纏



東高玉稲荷神社の半纏



浅立諏訪神社の半纏


荒砥滝本稲荷神社の半纏


長井市勧進代総宮神社の半纏


長井市下伊佐沢稲荷神社(廃止)の半纏
2023.07.11:shishi9:[コンテンツ]

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