白鷹町栃窪から移転した山神と観音堂

  • 白鷹町栃窪から移転した山神と観音堂
 栃窪から移転の観音堂と山ノ神神社



 温かい晴天が続き、山間の雪深い集落にも一気に春が訪れる。お尻のあたりがウズヴズしてきて工房に閉

じ籠もっていられない。

 最近、朝日町や白鷹町北部を彷徨い獅子頭の捜索をしていた。長い間眠りについた獅子はそう簡単には姿

を現してくれない。一昨日は朝日町の今平(こんぺい)集落に訪れ残雪の状況を調べると共に情報収集活動

を行なった。低速で音も静かに走る車とキョロキョロ辺りを捜索する不審な運転手は如何にも怪しい。



今平虚空蔵尊と石段



 今平の集落は前回訪れた時より雪はなかったが、寄り添う様に虚空蔵尊と地蔵尊が雪囲いをまとい春の訪れ

をまだ気づかず眠っている趣だ。虚空蔵尊には獅子頭が所蔵されているという確かな筋(観光協会)からを情

報を入手している。



今平虚空蔵尊


 参道石段の下の側で何やら作業中で、山水を引いて土のついた浅葱を洗っている様子である。これは住民の

方から話が聞けそうだと、手ぐすねを引いて待っていると一輪車を押して年配の女性が一輪車を押してやって

きた。名刺を渡し話しかけると、幸運にも神社のすぐお隣の方だった。獅子についてお話を聞くが、獅子頭は

見た事も話題も知ら無いそうだ。約60年前に隣の集落の大船木から嫁いできた。大船木では前回の記事掲載し

たように、お祭りは大変賑やかで獅子舞も出店も出たが、今平では幟を立て神事だけで男衆が酒宴するだけの

「すげない(物足りない)」祭りだという。



地蔵尊の須弥壇右下に、だみだし(葬式)の始まりに打ち鳴らす太鼓があった。崩れ落ちて風化しそうなワビサビ
感が何とも言えない。左には棺桶の上に乗せる屋根のような物が見える。時が止まっている。


 

 以前は、この集落に法印様が居たが宮宿に移転する際に獅子頭も持っていってしまったが、後になって返還

されたので、この集落の何処かに有るはずだ・・公民館付近から獅子の匂いが漂ってくる。

 果たして朝日町と白鷹町の境に当たる今平集落に伝わる獅子頭はどんな獅子だろう ? 大船木は白鷹鮎貝型の

獅子頭だったので、同様の型だろうか? 最上川対岸の大瀬地区にも獅子頭があり白鷹町区分ながら鮎貝型とは異

なった型の赤い獅子である。例祭は4月の第二日曜日(今年は9日)の朝、幟を立て神事を行うそうだ。


 

栃窪から移転した山ノ神神社
 

 昨日も午後から一通り仕事を整えてから、鮎貝は柏原地区に訪れた。下調べで柏原地区の住所を調べると意外に

も大字は箕和田で驚いた。柏原地区は栃窪から鮎貝小の向の柏原地区に昭和46年集団移転した集落である。その後

遅れて栃窪の山ノ神神社と観音堂を柏原西側の小高い丘に遷座した。入り口は鮎貝小学校の北側にあり、余に急な

坂がそそり立ち、怖気させる関門がある。200m程山道を行くと鬱蒼とした林に観音堂と山ノ神神社が佇んでいた。






 おのおの参拝し、山ノ神の入り口格子から内部を拝見すると左右の壁に大型の立派な絵馬が飾られていた。暗い拝

殿内に目が慣れてくると、鬼のや甲冑姿の武士の絵が見えてきた。失礼かと思いながら、神様にお願いして絵馬を

撮影させていただいた。鬼と山伏、婦女子が桜の下で花見をしている絵馬と戦の場面だろう、武士が僧侶を尋問し

ている様だ。奥のもう一枚は見えない。この絵馬だけでも栃窪地区の長い歴史と繁栄を感じ得るに足りるものだ。

 最近のスマホは性能が良く、暗闇でも鮮明な画像を残してくれるのでありがたい。パソコンで画像を拡大し、明る

くしてみると見事な絵馬が3枚確認出来た。





拝殿右側の絵馬  武将から尋問を受けている僧らしき者の手から刀が投げ捨てられている様に見える。






花見の酒宴の情景だろうか? 鬼が3匹と山伏が舞を披露しているかのようだ。桜の描写が西大塚の北向皇太神社拝殿の
神楽獅子の絵馬に描かれている桜を思い出した。



画面上に点描で桜が描かれている。安永時代の絵馬である。

 



 予想に反しての撮れ高に喜びながら帰路に戻り関門の急坂を下り停車すると20m先にブロックを工事している方が

目に止まった。「あの方はもしや? 先日、鮎貝公民館で紹介された栃窪出身の渋谷酒店のご主人では?」とバックして

確認しガン見する。ご主人は先日電話で様々お話を聞かせてもらったが面識がない。思い切って声を掛けるとやはり、

渋谷酒店のご主人だった。明治期にあった栃窪神楽の話にから「ウチに獅子頭があるけど見たいか?」という展開になり

、ご自宅の玄関で獅子頭検分が始まった。作者は「大工の齋藤三五郎(さんごろう)氏の作」だという。









三五郎氏作の獅子頭





 現在のお孫さんも三五郎を名乗って近くに住んでおられた。

三五郎獅子は目が慣れてくると、山形市の㊀餌鷹神楽の獅子頭と良く似ていて、村山地方の各地の神楽獅子を制作した

上山の仏師 高橋岩太の作を手本にし制作した飾り獅子というのが見解だ。この獅子頭を手に入れた当初は煤だらけだっ

たので、鮎貝の小林塗師に塗ってもらったのだという。ついに探していた栃窪神楽の獅子頭かどうかの真偽は、これから

始まる。




上山二日町八幡神社の一対の獅子頭は大正期仏師高橋岩太の作



本日の「犬も歩けば棒に当たる」作戦は大いなる成果を得た。
2023.03.30:shishi9:[コンテンツ]

絵馬の画題について

お久しぶりにコメントいたします。
絵馬の画題ですが、鎧武者の図については源平合戦における木曽義仲と大夫坊覚明の図のような気もするのですが、顔料の剥落などではっきりと見えないので判事かねますが、花見の酒宴の図は、平安時代の大江山酒呑童子退治の一場面で、山伏姿に変装し大江山の酒?童子の屋敷に入った源頼光ら一行が、毒となって鬼だけを酔わせる神変鬼毒酒を飲ませる場面ですね。この絵馬では、鯛の刺身が肴に出されていますが、元になったオリジナルの絵画では、切り落とされた美女の足の肉を頼光が食べて見せる場面となっています。
2023.05.10:鬼喜来のさっと:[編集/削除]

コメントありがとうございます。

 ご指摘ありがとうございました。
移転してきた神社にこんな素晴らしい絵馬が所蔵されていた事も
驚きましたが、サラリと解説されてしまうとは素晴らしい。
今、書いている黒鴨の山ノ神神社の山門に一対の仁王像の絵が取
り付けられておりました。木造の仁王像の代用品という意味でし
ょうか?
また拝殿内部にも一回り小さい仁王像一対が飾られていました。
これは絵馬的な考え方なのでしょうか?

また、ご教示よろしくお願い致します。
2023.05.11:獅子宿店主:[編集/削除]

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