朝日町の獅子頭調査

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 江戸時代最上川舟運で大いに栄た遺産である獅子舞文化が朝日町にも数多く伝承されている。

一昨年5月に旧長井小学校で開催した獅子頭展に、朝日町宮宿の観光協会事務局の方がご来場していただき

朝日町の獅子舞の資料を頂戴した。






 大変詳しく分かりやすくクイズ形式で朝日町の獅子舞や獅子頭を紹介したパンフレットに仕上がっている。

そのパンフを元に、更に詳しく調査したいと願い出たのだが、なかなか今まで実行に至らなかったが、朝日町

で古い歴史を誇る「豊龍神社」創建 承和(じょうわ)十一年(844年)の神社所蔵の獅子頭調査を令和三年に

行なっている。


大獅子 


 獅子頭は五頭所蔵され、一つは大獅子に記名があり明治41年塗り替えされたと思われる記名が残されている。

作風は幕末 米沢の大仏師 桂八、あるいは笹野の源右衛門と推測される。

白鷹町十王皇太神社の雌獅子(通称)の作風と酷似している。




左は推定 桂八の作 右は須貝摠一の作



その他、大獅子より小振りの普通サイズの獅子頭があり一つは桂八の作風、一つは昭和55年白鷹町高岡の

須貝摠一の作と記名が残っている。その他一対の北陸風の飾り獅子が奉納されていた。


昨日は朝日町の観光協会の事務所に訪れ、お話を聞いた。古い蔵をリノベーションした素敵な事務所で驚

いた。

お向は老舗の旅館で蔵のレストランも隣接して歴史を感じさせるような素敵な整備をされていた。






事務局長さんの出身の同町 古槙(ふるまき)地区の大天宮(神明神社)に一対の獅子頭が所蔵され、雌獅子

を拝見することが出来た。パンフで見た私の初見では、作風から豊龍神社の獅子頭にもある桂八の作風と考え

ていた。




事務局長の見解は、獅子頭の内部に陰刻で嘉永五年頃、古槙出身の名前が彫り込まれていた事もあり、作者は

嘉永五年頃 「清原文壽」の作と推測されていた。内部は漆が塗られず木地が露出し汚れや使用痕から、獅子

頭を被る太神楽の使い方をしていたと思われた。軸と顎は新しく作り直され修理された痕も見られる。



左上部に陰刻が残っていた。

 

 内部を詳しく調べると、更に新しい陰刻「甲子(きのえ ね)」の二字を発見した。事務局長も何故か今まで

気づかなかった記名だという。不思議な事にその他、一緒に記されるべき年号が見当たらない。甲子の年代を調

べると限られていて制作年の推定の年、嘉永五年(1852年)に近い年は元治元年(げんじ がんねん1864年)、

それ以前の甲子の年になると60年遡り、文化元年(1804年)、新しくなると大正13年(1924年)となってし

まう。桂八は慶應二年(1866年)で二十歳(1846年弘化三年生まれ)なので元治元年に制作されたとすれば

18歳であり二十歳で大仏師と記名を残しているので制作も不可能ではない。

 何故、年号が記されていなかったかは、軽量化の為に内部を彫り進め手を加え消してしまい陰刻を残した可能性

もある。陰刻の周りに墨書きのような跡が残っているが不詳だ。

作風の似ている雄獅子の方も今後調査して検分してみたい。


 古槙地区には明治16年建立と記された「大新宮」の石碑があり伊勢信仰の名残を留めている。石碑の裏には

同地区在住の神楽役者六名の名前が刻まれているという。ということは、山形市㊀餌鷹神楽を中心として

村山地方に伝播した伊勢系の大神楽が古槙に伝わったのだろうか。

 朝日町では春、雪が解け桜前線が訪れる4月半ば頃、各地で一斉に春祭りが開催される。まだコロナの影響も

残るが、古槙大天宮にも訪れ獅子頭の調査を開始したい。

又、朝日町の獅子舞文化遺産の余韻を楽しみたいものだ。

2023.02.16:shishi9:[コンテンツ]

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