龍蔵神社の神楽系の獅子

  • 龍蔵神社の神楽系の獅子
川西町犬川の龍蔵神社に一対の赤い神楽獅子頭が所蔵されている。
その獅子頭の一頭が検査の為入院された。
その他昭和二十年代に制作された佐藤耕雲の黒獅子が奉納され現在も使用されている。
前回の黄金の獅子の入荷をきっかけに巻毛系の神楽獅子が集結し始めている。
西高玉の夜獅子も昨日から隣に控えている。




この一対の赤獅子については獅子宿燻亭7に掲載されている
 川西町時田八幡から小松新山、そして龍蔵神社
(://samidare.jp/shishi7/note?p=log&lid=458994)

今回入院の赤獅子は陰刻で内部に記名が残され「明治二十九(1894)年七月 江口繁蔵」
「谷地ノ住 高山正則」とあった。別の赤獅子の箱と思われる箱には慶應三年(1867)
大願主 江口万吉衛門と名前があり29年の違いがあったが作風が似ている為、同じ作者
と思われる。





今回の獅子頭は奉納されてから130年経過するが稽古に使用され、頭部前歯や後頭部から
の割れ、顎が大破し満身創痍の状態である。神楽獅子だが二本の軸棒の幅や重さが黒獅子
型の舞方にちょうど良く稽古に適していたのだろう。しかし顎に幕穴が無い事や、後頭部
の木口にアーチ状の額が収まる様な凹みが有り、軸を歯で噛んで固定する伊勢神楽系の構
造の獅子舞を行っていたと推測される。ただ獅子の重さが神楽系の獅子にしては相当有り
疑問が残る。

以前の記事の写真を見ると一対の獅子には片方の耳が欠損している事に気付く。明治29年
の獅子には慶應三年奉納の獅子の耳が当てがわれている様だ。確かに色や形も違い、慶應
三年の獅子の耳の内側の紐穴周辺には窪みが彫られている。







また脳天には、最初円形の何かが取り付けられた跡があり、この獅子頭と似ている河北町
谷地の高山文五郎の作の獅子頭の写真には円盤が取り付けられている。おそらく同様のも
のが取り付けられていて欠損したのだろう。總宮神社系の黒獅子の特徴である馬毛の鼻髭
も左の鼻に取り付けられているが、最近のものだろう。





眼は金箔の剥離で見ることは出来ないが、金箔の上から黒で描かれ、後に黒も剥離し直径
1.5mmほどの金箔の円が薄く残っている。円の眼の外側に輪が付いた蛇目でもなく置賜近
辺でも、この様な小さな眼を描くのは稀である。

髭や眉や頬の巻き毛の彫刻は、西高玉の夜獅子を彷彿させるが外側に二重に彫刻する彫り
方は見たことがない。鼻筋や鼻の外郭など置賜の獅子頭には無い様式である。
上山市の中山の白髭神社の大獅子と類似している話は以前ブログで報告している。

獅子頭を手元に置いて、じっくり詳しく検分すると獅子はポツリポツリと謎を語ってくれ
るだろう。





獅子宿燻亭6

上山市白鬚神社の獅子担ぎ
(http://samidare.jp/shishi6/note?p=log&lid=442100)

置賜の大獅子4
(http://web01.yamagatan.com/?p=log&l=511880&a=421&c=352021)




2024.11.30:shishi9:[コンテンツ]

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