1950年代の雷神社の写真より 角力は平井孫七氏と小形善四郎作の獅子頭
1950年代に撮影した写真
獅子頭を分析すると昭和9年小形善四郎作の獅子頭
2023年、白鷹町の雷神社所蔵の昭和9年小形善四郎の作の獅子頭の大修理を依頼された。
その納品の際に拝殿の奉納札を詳しく調べさせてもらい、獅子頭新調の奉納札を発見した。
その奉納札は別の奉納札が重なって年号が見えず、そして獅子頭の奉納者は「平井□□」と
達筆で書かれ読めず謎のままであった。
隙間から奉納札を覗く・・・
本年、畔藤住の獅子仲間から雷神社の獅子舞のワラジ調達の相談があり、中古のワラジ20足
を寄贈する事になり例の獅子頭奉納札の話をすると、意外な事に「平井□□」の謎が一気に
解決してしまった。
その平井□□の名前は「当里=とり」と書かれていたのが分かった。その方の曽祖父の妹に当た
る方で、畔藤では有名な女性相撲取りだったのだ。平仮名の名前の「とり」を敬意を込めて当字
にして書かれたのだろう。
平井家に残された「とり」さんの勇姿
平井とりさんは明治26年生まれ(1893〜1942)大関まで上り詰めたが50歳の若さで亡くなって
いる。女相撲は江戸時代から盛んだった時代があり明治大正と紆余曲折を経て昭和初期の山形
県では興行事務所が取り仕切り全盛期を極め海外遠征まで行っている。とりさんは四股名を遠江灘
(とおとみなだ)と醜名され、その勇姿は絵葉書までに残され程で当時の名声が偲ばれる。
平井とりさんは奉納札によると昭和9年(1934年)に獅子頭新調の為に10円を寄付されている。
下世話な話だが、当時の10円は現在の貨幣価値に換算して20,000円程という説もある。獅子頭新調
のご寄付の期待に反して金額は一般的である。この時期は1929年の世界恐慌直後であり、間も無く
1939年の第二次世界大戦が勃発する時期でもあり、複雑な事情が反映されているのだろう。
また平井家に「遠江灘」の化粧廻しが所蔵されていると言う資料もあり、今後稲刈り後の取材をお願いし
ているので楽しみである。遠江灘の化粧廻しには鯉の刺繍が描かれ、孫七氏着用の化粧廻しには波浪波の
模様が垣間見える。
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