清水町の河川敷付近に残っていた原野に大柳があり、12月4日ついに伐倒された。
30年前、獅子頭制作を始めた頃から目を付けていた柳だ。柳の近くの住人に地権者を聞いて
地主さんに連絡したりしていたが、秋口より地権者が変わり開発される事が決まった。新しい
地主からその大柳について連絡があり、伐採する業者さんから必要な柳の部材を貰う承諾を得た。
長年の念願は叶うことになったが、樹体を見ると地面から1m程で太い枝が二手に分かれ融合して
成長している事が分かる。枝折れし腐れた枝もあり、恐らく良材は少ないと予想した。
初めて見る豪快な伐倒作業だ
快晴の12月4日。この頃になると樹々は冬の凍結防止に樹体から水分を根に下ろしている頃。
柳には無慈悲な事だが伐倒し材を利用するには良い時期である。1000坪程の原野には柳や他の木
もあり、根も引き抜いて処分し整地するに3日で行うという。人力での樹木の伐倒は幹の元に切口
を入れチェーンソーを使って倒すが、重機で根を引き抜く場合は違う手順を目撃することになった。
伐採が開始されると、トレーラーで運搬された大きな重機を稼働し大柳の枝を次々と巨大なハサミ
で掴んで切断し、そのまま掴んで移動を始めた。
根っこが現れた
ある程度太い部分だけになると、根の四方の土をサクサク掘り出し、根ごと柳を倒しに掛かった。
重機は柳の肩に手をかけ、ちょっと押したかと思うとメリメリと轟音と共に柳は呆気なく倒れ、
ビッシリと砂利を抱え込んだ柳の根が露わにされ外気に晒された。てこ役の方二人が、すぐ様
チェーンソーの作業に取り掛かり、枝や幹の解体を行う。
重機が運びやすい量をカットするとチョイとつまんでは運び、手際良く整理を進めていく。
小人と巨人の見事な連携だ。
次の日午後に現場を訪れると、既にお願いした獅子彫に適した寸法の部材が並んでいた。長さ2m
に揃えた丸太三本と、根元の真ん中から二分して割れた部材である。根元の部分は重くて運搬に大
変なので長さ1mにチェーンソーでカットした。
ある程度下までカットすると重機が掴んで回してくれたり、一時的に移動してくれたりと、重機オペ
レーターが阿吽の呼吸でフォローしてくれる。
巨大なカニの手でチョイとつまんでトラックに乗せる
そして獅子宿の置き場所まで急遽4tユニック車をチャーターし、2往復の運搬を速やかに完了でき
た。この作業に協力して戴いた松村氏と寺泉飯沢氏の獅子頭木地調達の貢献に感謝したい。
こちらも阿吽の間合い
玉掛け名人
現在、松村氏は白鷹町荒砥住で獅子彫りを精力的に行っており、総宮系や鮎貝系の獅子頭を制作
し獅子彫り、カシュー塗装や金箔貼り技術の研鑽を積んでいる。今後とも益々の獅子彫の研修に期
待したい。
先日完成したばかりの松村氏の作の獅子頭。飯豊町萩生型の獅子頭。提灯は成田の飯沢氏の作、
獅子箱は寺泉の飯沢氏作、格子は雷避けの木でキササゲ材を使用している。
翌日直ぐに丸太を捌く
二つに割れた根元から二つの頭部
型を使ってギリギリを木取り
さっそく運搬した柳の根元の二つのブロックを木取りすると6頭の頭部分が取れた。
片方の根元部分を使ってギリギリ2頭を同時に荒彫りしてみると、片方に左目から頬にかけて致命的な
ウロが現れてしまった。総宮神社の獅子頭伝説と正に同じ様な傷跡に見える。「総宮神社最古の寛文十
一年改め」の獅子頭の制作も意外とこの様な状態の木地だったのかも知れない。
現在、その二つの獅子木地はひとまず獅子宿玄関に安置し、次の4頭の木地の荒彫りを進めている。
まだ丸太の状態の7玉の柳が、雪を被り眠る様に佇んでいる・・・それを眺めながら師走の気忙しさ
と焦燥感を味わっている。
根元一作目と二作目は現在、獅子宿の玄関で養生中 一作目の左目から頬にはウロが現れた。
竜神の怪我伝説を思わせる・・・
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