白鷹町萩野は庭渡大日堂の獅子頭が久々に獅子宿に訪れた。
平成18年(2006年)6月吉日 彫師 渋谷正斗と記名にある。
新調から17年も経過している。
なんと重さを量ってみると8.9kgもある。
この重さの獅子頭を担ぐ様にして飛び跳ね回る、萩野の獅子舞は大変な精神と体力を要する・・。
気になる所は、あちこちの小さな傷と軸の穴にガタがきたのかカタカタ音がする。
萩野の獅子は顎は5cm程の厚みの一枚板で軸棒の立ち上がりがほとんど無い。
顎部には頭部にある二本の軸棒を握る為のスペースがないので、顎の端を肩に乗せて右手で
頭部の角棒を握って跳躍するのだ。この様な獅子舞のスタンスは白鷹で唯一萩野だけだろう。
それも誇りの一つ。
顎の軸は、5cm程の鉄製のボルトを削って頭を丸く加工し、その先を細くした。
そして栓を獅子頭の顎に取り付ける為の穴を開けている。
顎の開閉の軸棒を受ける穴の入り口には鉄板に穴を開け開閉時の摩擦に耐える様に工夫している。
恐らく、それが経年より摩耗したのだろう。
獅子の耳には丸く切った和紙に毎年ごとに年号を記して耳の軸棒に通し重ねる。軸棒は耳の穴が
回転する様に軸棒の先を太くし関節の様に押し込んでいる。その耳の軸棒を頭部の持ち手に2mm
細い麻紐で繋ぎ、それを軸棒に反対側まで巻いて持ち手の滑り止めにしている。麻紐は福島から麻
繊維を仕入れ、熟練者が紐にするのが伝統だという。
制作時、モデルにした米沢の江戸期安永年間頃の笹野の彫師 源右衛門の作の獅子頭の眼にはガラス
が埋め込まれていたが、2代目の獅子には伝えなかった。今、考えると惜しい気持ちだ。
源右衛門の作風の一つに頬の血管が浮きだった様な彫りがある。米沢の徳町 疱瘡(ほうそう)神社
の獅子頭に同様の彫りが見られる。
萩野の初代、源右衛門の作の獅子は重い。その為、軽量化に眉毛の内部を削って少しでも軽くした。
その当時まだFRPによる補強で軽量化を実践していない時代である。
制作時の考察がじわじわ蘇ってくる。
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