四頭展示されていた。その中で、高橋小兵衛の作と思われる獅子頭を確認した。
眼球の縁に赤い細い線
先が鋭角で丸みをおびた耳
成田や五十川型の木葉眉で後頭部は総宮神社型の様に垂直だが、唇もうねり、歯の数
多く、耳はお椀の様に薄く彫られている。
先日、白鷹町畔藤の熊野神社の獅子頭に小兵衛の記名があり、違った小兵衛の作風を
見出した事により気づく事が出来た。
![](https://ssl.samidare.jp/~lavo/shishi9/box/nishi ohtuka yakushi.jpg)
西大塚薬師如来の獅子頭
畔藤熊野の小兵衛の獅子にある目と目の間にある丸い謎の文様と同じ彫りがある、川西町西大塚の
薬師如来の獅子頭も小兵衛の作と確定する事ができる様だ。
白鷹町畔藤熊野神社の獅子頭 宮村 高橋小兵衛の作と成田村 横山直太郎の記名あり
![](https://ssl.samidare.jp/~lavo/shishi9/box/IMG_E0043 -h2.jpg)
飯豊町中 田林家の八幡神社の獅子頭 額のこぶと鼻筋が小出白山神社の獅子と良く似ている
同時に飯豊町中の田林家の大小二頭の獅子に見られる特徴に小兵衛の作風を確認できた。
その他総宮神社の元治元年(1864)の記名のある獅子頭は作者名は無いが作風から小兵衛の作
と思われる。木葉眉の成田八幡神社や五十川薀安神社(記名なし)、雲眉天眼の平山熊野神社の
安永九年の獅子頭には小兵衛の作と記名が残されている。
平山熊野神社の安永九年 高橋小兵衛の作
![](https://ssl.samidare.jp/~lavo/shishi9/box/IMG_0444-39-2.jpg)
飯豊町手ノ子八幡の安永九年のみ記名ありの獅子頭
飯豊町萩生諏訪神社の天明二年(1782)の獅子、手ノ子の
八幡神社には安永九年と記名が残されて1780年前後に小兵衛が多数、多様な獅子頭を数
多く輩出している事に驚く。小兵衛の作る獅子頭のバラエティに富んだデザイン性と精巧
な技術の元になるものは何だろうか? この江戸時代に、どこで彫刻の技術を学び、優れた
センスを身に付けたのだろうか・・。塗りや金箔の技術も同等に優れている。長井市の塗
師の創始齋藤仏壇の初代 齋藤東助栄重(安永六年78歳没)2代目忠五郎(安永五年49歳
没)、畔藤熊野の獅子頭記名にあった成田の塗師 横山直太郎、成田八幡の獅子を制作し
塗りも手掛けたという平吹市之丞などが、これらの塗りを担ったのだろうか。
長井の江戸時代の塗師の歴史については、ほとんど資料が残っていない。腕のある無名の
職人たちが獅子頭にその技量の高さを留めるのみである。
追記
小出白山神社の志田芳弘氏の話によると昔、台町に熊野神社があり獅子舞を行なっていた
ので、その熊野神社の獅子頭が伝わっているのではないかという。今後その熊野神社につ
いて調べてみたい。
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