NCV CHANNEL(2022.4.04)の地域ニュースで放映された「大笹生地区で春神楽
獅子頭と共に各家庭回る」で取材撮影された獅子頭二頭を探りに高畠町竹森熊野堂に訪れ
た。(獅子宿燻亭9にて2022年6月27日「高畠町大笹生の春神楽」でご紹介している。)
高畠石の産地だけあり石仏も多数見受けられる
例祭は4月3日、お堂は新緑に懐かれ静かである。獅子頭は別の保管場所にあり、唐突な取材なの
だが何とかお願いし拝見出来た。
左の袋はお祭りでお賽銭や奉仕を入れる袋
小関庄左衛門の作
すると獅子頭内部に記名が残されていた。
「明和三年丙戌(ひのえいぬ)年三月十五日」とあり明和三年は西暦1766年。
大工 □ 藤 □ 郎・・・とも読めるのだが解読できない。
年号の筆跡と比べ、名前の文字が太く違和感を感じる。名前の書かれている部分の色
が異なり拡大して見ると、塗り潰された様な文字痕があるようにも感じる。
この獅子頭と特に酷似したものが置賜に複数あり、一つは長井市総宮神社に所蔵され、
また川西町大塚地区の荒井集落の平井家に残されている。獅子頭の特徴から高畠町金原
新田の原田弥市の作と推測してきたが、酷似した獅子頭が複数あるという事は名古屋で
作られた宇津権九郎型と同様に愛知や近畿地方の工房で制作された可能性も考えられた。
総宮神社所蔵の獅子頭
大笹生熊野堂の獅子頭
川西町西大塚荒井平田家所蔵の獅子頭
川西町尾長島熊野神社所蔵の獅子頭は上記掲載の獅子頭を見本として制作したのでは無いか
頭部の黒の平行の二本線や軸棒の後ろの黒の巻毛、目から口元にかけてのラインなどが特
徴的で作者のサインや系統の意味を成しているのではないか。伊勢で獅子頭彫刻や塗りの修
行をしたという原田弥市の獅子にも共通の形が彫り込まれている。原田弥市の記名が残さ
れている獅子頭は高畠町金原の玉竜院の天保六年(1835年)で、今回発見された獅子には
明和六年(1766年)とは69年の時差があり、記名が本当であれば原田弥市の作とは考え難
い事になり、また記名の姓名が解読できれば新しい展開となり、総宮神社の獅子神楽の年代
を考察する資料に関係することなるだろう。
もう一つの獅子頭は作風を見ると、南陽市宮内の小関庄左衛門の作だろう。
宮内の熊野神社の獅子と同様に、脳天に黒い円盤があり神鏡を表している。以前も取り上げ
たが、宮眉から目にかけて黒く塗られている様式は、高畠町根岸の熊野神社に所蔵されてい
る大正期制作の獅子頭同様であり、こちらの獅子頭には記名は無かった。
高畠町根岸熊野神社 小関庄左衛門の作
熊野堂の小関庄左衛門の作
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