獅子頭があるという情報が入り調査に訪れた。この情報は朝日町観光協会ならではの口コミュニケーシ
ョンの賜物である。
「松程」という地名が気になり調べてみるが不明だが、「松塊」と書いて「まつほど」と読み、松の
根に寄生するキノコ茯笭(ふくりょう)という漢方薬に用いる生薬とあったが地名の元になったかはど
うかは不明である。朝日町は古くより朝日連峰修験の歴史があり含蓄のある地名が多い。
朝日町町内287号線の西部街道、松原地区から左折し暖日(ぬくみ)橋を渡り、沼ノ平集落に入り、
まだ雪深いりんご畑を抜け、一番奥が目的地の布施五郎左衛門家が見えてきた。布施家は寛文3年360
年前頃より沼ノ平に入植し、現在の当主は14代にあたる。
暖日橋の以前の「昭和橋」は大正15年に完成し長さ104mの吊り橋、それ以前は渡し舟だった。
11代五郎左衛門氏が架橋組合長を務め組合長を務め建設したものだが、昭和22年の水害で落橋し
現在の暖日橋に架け替えされた。工事完成は大正15年、今から100年前であれば難工事だったが地区民
悲願の工事だったという。
布施家宅の背後の山に八幡神社があり布施家が宮守をしている。例祭は9月の第二日曜日だが、獅子
舞は人口減とともに廃絶し40年もなるという。獅子頭は幕が取り付けられ、さも獅子舞が再開される様
な状態で桐箱に納められていた。西置賜地区寺社の獅子舞ではお祭り前に獅子幕を取り付けられ、獅子
舞終了後に取り外される。お神酒や埃で汚れた幕を「幕洗」を行い浄化する為で地域によって観衆は異な
る。
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耳の軸棒が貫通し表で留める様式は珍しい
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御当主の栄五郎氏と獅子頭
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獅子幕には一対の紋が染め抜かれていた
さて獅子頭の表情をうかがうと宮宿の豊龍神社の獅子頭と重なった。豊龍神社の獅子頭よりは小型で
重さも軽く、内部は塗りが無く記名も見当たらなかったが、豊龍神社の獅子頭は米沢笹野の源右衛門と
鑑定している。記名のある源右衛門の獅子頭は米沢市簗(やな)沢の八雲神社の大型の獅子頭に安永六年
(1777)高さ44cm幅53cmと、置賜の獅子頭でも稀な大型の獅子頭である。また白鷹町十王の皇太神社
の雌獅子と称される獅子頭も酷似している。
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豊龍神社の大獅子
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白鷹町十王皇太神社雌獅子
白鷹町萩野大日堂の獅子頭を制作した際、顎が一枚板になっていて軸棒はボルト状の鉄で嵌め込まれていた。
大抵は軸穴用の部分が造られるのだが源右衛門の作風を特定する一要素である。八幡神社の獅子頭の顎も一枚
板状で軸棒を握る為のスペースは無い。豊龍神社の獅子舞同様にアーチ型の骨組みを内蔵し大幕をテント状に
広げる型なのだろう。
朝日町の獅子舞の特徴でこの手法は朝日町各地で見られる。
朝日町史には「豊龍神社の祭礼は江戸時代ごろより始まり、現在の様な大行列になったのは大正頃からで
町内の篤志家から大獅子が奉納された事から、南陽市宮内の熊野神社に赴(おもむ)き、獅子舞とお囃子を
習ってきたとされている。」とある。
江戸期に始まった大型の獅子頭の獅子舞が途絶えたが、大正期に宮内熊野神社の獅子舞を習って復活したと
いう事だろう。
現在の宮内の熊野神社の獅子舞は決まった舞の形は無く、獅子が練り歩き町内を払い清める様式になって
いてお囃子は一旦途絶えて復活したものと聞いている。宮内熊野の獅子舞や囃子が豊龍神社に伝授されたとす
れば、途絶えた調べの原型が豊龍神社獅子舞に残されている事も考えられるだろう。
宮内熊野型の獅子舞は南陽市の各地に伝播し、梨郷神社、赤湯の烏帽子山八幡神社、萩の熊野神社、高畠町
深沼八坂神社、上山中山の白髭神社でも見られ、いずれも獅子舞多人数規模の大幕に合わせて獅子頭も大型
になっている。また米沢の簗沢八雲神社の大獅子はどんな獅子舞だったか? という疑問も頭を持ち上げてく
る。源右衛門が豊龍神社の獅子を制作した事が要因で大獅子を制作し獅子舞を行ったとする事も推測できる。
米沢周辺には大獅子は見当たらず、神輿の先払い要素の獅子舞が伝わっている。
獅子頭を舐める様に見ていると、白鷹の佐野原稲荷神社の獅子頭が頭に浮かんできた。白鷹の獅子頭の中で
は唯一異色を放っている表情だった。
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佐野原稲荷神社の獅子頭
佐野原は道の駅の先、最近できた五百羅漢のある地区である。
その獅子とよく似た獅子頭が浅立諏訪神社に所蔵されていて、先代の宮司さんが所蔵している不詳の獅子頭で気
になっている。現在、神輿庫の手の届かない場所で私の取材を首を長くして待っている筈だ。特に耳の軸が耳を
貫通する様な取り付け方が沼ノ平八幡の獅子と同様である。
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浅立諏訪神社所蔵の獅子頭
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山形市黒沢福田神社の獅子頭
更に、山形市黒沢の福田神社の神楽獅子とも酷似している。こちらのお獅子様はまだ調査出来ていない。
さて、今日の取材はもう一箇所訪れる予定になっている。話題が豊富で話が尽きない。八幡神社の拝殿内の取
材もお願いし、次の取材先である最上川を遡る事数キロ、西岸の大船木集落の熊野神社の獅子頭を拝見出来る
計らいである。この獅子頭には記名が残っているという虎の巻も仕込んでいる。
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