昨日朝ネットで丸大扇屋に獅子頭がある事を知り、早速拝見する事ができた。
獅子頭所蔵の件は資料整理で時間がかかっていた様で、一昨年展示されていたが私の獅子情報レーダーは感知が
鈍くなった模様だ。前回の明治期 扇屋の番頭さんだった黒沢清五郎氏家所蔵の獅子頭の話から芋づる的に未確
認の獅子頭が遭遇出来た。
長沼孝三彫塑館に訪れると、丸大扇屋の獅子頭は獅子箱に収まって待っていてくれた。正面の下げ落とし蓋の枠
に亀甲金網が張られ、右側面には握り拳大の入り口があり、やはり下げ落としの蓋があった。これは、小人さんの
出入り口かな?と思える造作だが、獅子頭の為に湯呑みに水を入れ箱の内部の湿度を保とうとする工夫と考えた。
獅子頭は子供用の獅子で、120cm角の獅子幕が取り付けてあった。獅子頭の直ぐ下の荒い麻の前幕には大きく
屋号の丸に大と染め抜かれ、すぐ下に小さな渦巻が控え目に描かれていた。本体には小さな水玉模様、危険な荒波
を渡らせたくないという親心を感じさせる。
獅子頭は写真を見て、明治期 長井市九野本の彫り師小関久蔵の作だろうと見ていた。
実物は保存状態が良く、獅子頭内部や獅子幕の背中には記名が無かった。前幕の丸に大の屋号だけで充分としたの
だろう。資料にも記名の記述はなかった。
しかし、全ての写真を撮影し、ふと箱の底を覗いてみると記名が出てきた。
「 明治三十年一月元旦 市太郎 五才 別注文
九野本村 小関久蔵以?製 持主長井町 長沼市太郎 」とある。
市太郎氏は十代目長沼忠兵衛氏の長男で長沼孝三氏は三男。
獅子頭は長男として期待され愛されされた証でもあり、長沼家の歴史を語っているかのようだった。
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