その時聞いた話では明治期丸大扇屋の番頭さんだった黒沢清五郎氏は白鷹町鮎貝の屋号あぶらやさんの出身で
扇屋さんから小振りの獅子頭を譲り受けたと記憶している。もう30年も以前の話なので、どんな由来があったか
ははっきりしない。

当時、鮎貝の呉服店あぶらやさんに訪れ、小振りの獅子頭を展示させていだたきたいとお願いした。小振りの総宮
型の獅子は耳が曲がっていたり、鼻髭がバッサリ切られたり、アゴ髭があったり一風変わっていたという感想だっ
た。
今、見ると明治期飯豊町椿の伊藤彦右衛門の作と一目瞭然。塗り替えの際、髭の取り付けに誤解か何かがあった
のだろう。

この小獅子の他に二頭あるので遠慮なく拝見した。
一頭は、どちらかと言えば鮎貝型だが、癖のある獅子の造形という印象だった。眼は凝った細工で、周りは銀で
黒目にはガラスが嵌め込まれ、黒目の縁に白目も塗られている。その時は気が付かなかったが、何年か経って
萩野の獅子を作って米沢の獅子を調べているうちに、萩野の獅子の作風が米沢笹野の源右衛門の作風で、あぶら
やさんの獅子も源右衛門の作風と類似している事に気が付いたのである。
源右衛門の獅子の記名は米沢市簗沢八雲神社の大獅子に「安永六年(1777)米沢笹野源右衛門作」とあった。

二頭目は「会津の獅子」と聞いた記憶があるが、それ以上の印象は不詳で、写真も何年も行方不明で気になって


いたが昨日突然現れたのである。見てみると、なかなか迫力ある面構えの逸品である。

類似している獅子として福島の喜多方長床熊野神社で見た獅子頭が頭に浮かんだ。

高畠町夏刈 熊野神社の神楽獅子も同類と思われる。

その他にネットで落札出来なかった岩城藩由来の獅子頭も同様である。

文禄三年 最上義光公から拝領した㊀餌鷹神楽の獅子頭も繋がりがあるのではないだろうか。

福島磐梯神社の獅子頭
あぶらやさんでの思いもよらぬ獅子頭との出会いは心躍る瞬間だった。
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