昭和の獅子彫師渡部亨氏の幻影4

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亨氏の話題がなかなか尽きない。

何しろ生涯獅子頭400頭を制作した巨匠でもあり、東北の山村にも訪れた高度成長期の余波は巨大な

需要の流れを及ぼしたのである。切れ目の無い獅子頭新調の依頼を亨氏は勤勉にこなしていた。

この写真は白鷹町十王の皇太神社の明治期名古屋型の獅子頭をモデルに新調した時のもので、神社での

亨氏交えての記念撮影である。

依頼した神社関係者も亨氏も彫りも塗りも大いに満足した作と随想に書かれていた見事な獅子頭だ。

後年、私が修理や塗り替えの依頼を受けている。



例祭日に神社から招待されての記念撮影だろう






昭和57年5月の作







一枚の露出不足の写真には亨氏、奥さんのしげさんとお孫さんが楽しげに獅子頭二頭と一緒に写っている

写真がある。息子さんが撮影したのだろう。会心の作を孫に見せて楽しげな会話と笑い声が聞こえてくる

様な昭和の情景である。



部屋には五頭の獅子頭木地が仕上げられている。奥には飯豊町の天眼扁平の諏訪型の獅子が見える。

いずれも毛穴が無く、まとめて研磨してこれから穴を開けるのだろう。息子さんやしげさんも仕上げの

研磨の手伝いをされたようだ。総宮型の獅子でも微妙に顔付が違う。真ん中の獅子は伊佐沢神社の顔に

見える。







米沢の息子さん宅の写真パネル


右の黒獅子が伊佐沢神社の獅子頭見本かも知れない。河井の獅子にも見える。



と言うのも写真館でプロが撮影したと思われる獅子の写真もあったからだ。以前長井市大町の梅津写真館

宅と伊佐沢神社拝殿に展示されていた写真を見ていた。伊佐沢神社から発注される際、明治期 梅津写真

館の弥兵衛昌利と吉藏が制作しており、どちらかの獅子を手本に制作している。

その獅子も亨氏の写真に写っているようだ。







制作中の亨氏の真剣な表情も窺える写真もある。



画像には制作する際の切れ目のある台が気になる。




目線が下の獅子のタイプである


今日も外は吹雪、雪煙に40年前の亨さんの作業部屋で一心不乱ノミ打つ姿が浮かんでくる。

亨さんの晩年である平成4年、自分は長井黒獅子研究会を立ち上げていた頃だ。

直接の出会いが無かった事は残念だが、縁なのだろう。
2023.01.10:shishi9:[コンテンツ]

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