渡部亨氏の獅子頭制作写真について意外な発見や憶測が含まれて、写真を見るたびにザワついてくる。
二つの獅子頭や耳の木地の提供に関しても同様である。
数多くの写真の分析には、まだまだ不明な点が残るが取り上げてみよう。
亨氏の写真より 左が初代の獅子
高畠町大町の市神神社の獅子回しを取材した事がある。ちょうど獅子回しの青年達が休憩している場所に遭遇
する事が出来たが、間も無く獅子を持って走り出し消えてしまったという経験がある。お囃子も無く地区を一軒
一軒訪れ、玄関先で獅子でのお払いを行うスタイルである。どうにか神社を探し神主さんにお話を聞き、初代の
獅子頭を拝見できたが、獅子について記名もなかったので詳細は不明だった。その後、獅子回しの関係者から
獅子頭の修理依頼があったが、二代目の獅子も記名がなかったが、確信は無いまま渡部 亨氏の作風を感じて
いた。
その後、高畠周辺の獅子頭調査で初代の作者は江戸後期、金原新田の原田弥市氏の作と推測している。
この弥市型の獅子頭と似ている獅子は置賜には見当たらない型で眉毛の上部の毛が広がっている様な
彫りの表現が独特で白鷹町の八乙女八幡の獅子に見られるものと類似している事が気になる。
弥市氏は江戸後期に伊勢に修行に行き、獅子彫や塗りを習得したので、その時の経験が影響しているの
ではないかと考えている。また楕円形の眼を描く事も弥市風である。
あれから十数年経過し今回の写真提供で、証拠たる写真が出てきた。
市神神社所蔵の初代の獅子頭を元に、二代目を制作したのはやはり亨さんだったのだ。
鮎貝八幡型の獅子頭木地と完成品の獅子頭が写っている写真がある。
口を開けている写真には記名があり
若宮八幡宮氏子中 彫師 渡部 亨 塗師 熱海長吉 昭和五十六年七月吉日 ...とある。
この頃、長井市幸町の塗師 熱海長吉氏への塗り依頼が多い。鮎貝駅近くの若宮八幡神社での獅子舞は
昭和53年頃から始まったとあるので新しい獅子頭が出来たのは3年後ということになる。
若宮八幡神社の獅子頭と思われる獅子の隣に木地の獅子がある写真と木地の獅子が二頭並んでいる写真
があったが、写真の日付が無く木地の獅子二頭どちらかが若宮八幡の塗り前の写真とも考えられる。
よく神社獅子を新調する時、一緒に関係者用の獅子を複数制作する場合がある。この時、亨氏は二頭
制作したか、四頭制作したか不明であるが・・思い出してみると亨氏の作と思われる若宮八幡型の獅子が
二頭浮かび上がってきた。
写真の情報では2011年、獅子宿に獅子の鑑定依頼があり、この獅子が現れた。この頃、鮎貝八幡型の獅子
を見慣れず亨氏の作とまでは鑑定できなかったが、眼にガラスが嵌められ白目や緑の輪が塗られた小振り
の獅子という印象であった。
また、昨年総宮神社の宝物殿で未完成の鮎貝型の獅子頭を見つけた。その獅子
は耳が欠損し、仕上げ塗り直前の研いだ状態で眼にはガラスを嵌める円形の溝は無く、軸棒の端と脳天の円
盤に金箔が仕上げられているという複雑な状態の獅子頭だが亨氏の作だろう。
総宮神社宝物殿にあった亨氏作と思われる獅子
この塗り直前の状態と全く
同じ様な亨氏作の総宮型の黒獅子を獅子宿で預かっている。
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