時々、パソコンの蔵から古い情報を見つけ、虫干しのように広げてみると、ちょっとした発見がある。
以前、白鷹町中山の熊野神社の獅子頭の顎の亀裂修理を依頼された際に、獅子の木口に陰刻記名を発見
した。
「荒砥 㔫山又兵衛 文政十一年」とあるが、荒砥を調べると左山姓は見当たらない。以前ブログにも紹介
しているはずだが旧漢字の「㔫」を「丸」と呼んで「丸山」と読んでいた。荒砥に丸山姓は存在している。
今見てみると記名は「㔫」に見える。
中山熊野神社の獅子頭の形を見ると、眉は鮎貝八幡型、目尻下がり具合で荒砥深山神社、鼻の穴は広野観音
耳の形は荒砥新山だが、耳の軸に布を巻き付け御下げ髪状になっている。又それは、バネのように耳が獅子
の動きで上下し中山独特の伝統である。
何故、このような慣例があるのか不詳であるが、萩野の二代目制作した際、萩野の獅子の耳は棒で、その
棒に丸く切った和紙に毎年例祭日を書いて記録する慣例があり、それと関連があるのかも知れない。和紙の
代わりに布切れを用いて記録している事もあるだろう。
に
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