10月23日(日)午後3時に荒砥の八乙女八幡神社に訪れた。
今回は神社関係者の方にお願いして、神社の検分の機会を頂戴した。
また驚きの発見があり、獅子頭に纏わる調査の重要さを感じるものだった。
先頃、例大祭の時に獅子頭や獅子箱などの写真を送っていただき、獅子箱に残された明治34年
の神社焼失の衝撃の事実が判明した。翌年の明治35年に神殿が再興され、同じく四頭焼失した
獅子頭も新調されたという事実も驚きである。その事実を書き残したという獅子箱を確認した
く検分をお願いしたという次第である。
さて、問題の獅子箱にはもう一面に墨書きが残されていた。
墨書きは正面と左側面の他、右側面にも残されていたのである。
『 明治三十五年(1902) 寅(とら) 丑(うし)拝殿再建□(分析中)
備之 (これをそなえる)
陰暦五月二十六日(1902年の七月一日)
半夏(半夏生)御祭典 』
つまり明治35年に半夏生[夏至から11日目の日。薬草の半夏(カラスビシャク)が生える頃で田植えを
終える目安]の日の例祭の為に獅子頭を新調したという意味だろうか。
ちなみに前回報告したが左側面には
『維持 明治参拾四年
九月十□五日為天
火 帰烏有天
御 備之 獅子四
頭 焼亡 依之
新調寄附候者也』
明治34年に火災の為、四頭の獅子頭も焼失してしまったが、新調して寄附してもらった、の意だろう。
正面の蓋には寄附した「大友卯右衛門(うえもん)」の記名が書かれている。
今後、専門家にもっと分析してもらい神社焼失と獅子頭四頭の焼失と新調に付いて調査したいものである。
次に普段は滅多に出入りしないという倉庫を見せていただいた。
中には小振りの田楽提灯や古い太鼓を運ぶリヤカー、資材などが雑然と置かれていた。
こういう時に獅子彫師の特殊な嗅覚が働くのだろう・・なんと奥の棚に無造作に置かれた獅子幕を発見して
しまったのだ。通常獅子幕は獅子頭や獅子箱と一緒に収納されているのだが、獅子幕を乾燥する際に有耶無耶
になる事態が発生するようだ。そして社務所に移動し、獅子幕を広げ検分すると中から半纏二着が出てきたの
である。半纏を広げてみると背中に見事なタコの絵柄が染め抜かれていた。
現在の獅子幕と比べると小振りの獅子幕である。
タコの絵柄の口取り半纏
更に、コロンと卵が出てきたのである。
最後に怪しい物が出てきたので、皆絶句してしまったが、獅子幕の中に口取りの半纏と鶏卵の組み合わせの怪は
ただ今分析中だが解決は難しいだろう。
口取りの半纏のタコの絵柄について調べると「関西や京都では半夏生に半夏生タコと言ってタコを食べる習慣が
あり、これはタコの様に大地に吸い付いて、その足のように稲の広がるのを祝う縁起とされる」とありタコの
絵柄は半夏生に行われる祭りとの関連があるからなのだろう。
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