置賜の獅子頭の調査を始めて何十年と経つのに・・まだ、獅子頭の新発見ができるとは驚いた。
白鷹町の広野観音に総宮型の黒獅子が二頭所蔵されていたのだ。
以前から黒獅子頭の存在は一枚の写真情報を入手し気になっていた。
その画像の獅子は遠藤盛助風である。
そもそも広野観音の獅子頭は赤獅子で独特の備前焼の獅子のデザインで、浅立諏訪神社と小山沢の七星
神社の三獅子と共通した型である。
先日の例大祭の際、思い切って公民館で準備中の地区の方へ突撃取材を行い稽古用の黒獅子を目撃した。
ちょっと見ただけで、総宮神社所蔵の歴代級の獅子頭と判別できた。
どうやらその獅子は広野観音のすぐ北の神明神社から寄附されたものらしい。
しかし、前もって情報収集していた盛助風の獅子頭とは違っていたので戸惑い、広野住の現役獅子振りの
方にたずねるが解決しなかった。
一昨日、広野観音に立ち寄ると堂守の方が片付け中だったので尋ねると、確かに元神明神社の二獅子頭が
あるという事だった。
本日に再調査をお願いし、遂に謁見することが出来たのである。
公民館の獅子頭は明治30年と獅子箱に記名が残っており獅子頭の作者は九野本の小関久蔵だった。
また広野観音と同様の独特の水玉模様と波浪模様混合の獅子幕が一緒に収まっていた。同氏は明治28年に
総宮神社の獅子を制作しているので、瓜二つの逸品の獅子である。
さて、盛助の獅子と思われる獅子はどうだろう?
蔵から出て来た獅子頭は予想以上にインパクトがあった。
目玉が飛び出している獅子はこの辺では大概そうなのだが、極端に細い八方睨みの目である。
この表情を見て、すぐに平山の北向地区にある見渡権現の獅子の目を思い出した・・。
見渡権現の獅子の写真と照合し比較してみると、立ち気味の耳、鼻や鼻の穴の形、歯と唇の境に上下歯茎
がある、丸みある多数の歯、唇の線彫りなどと作風に多数共通点が見られる。
平山北向 見渡権現の初代獅子頭
勧進代の盛助獅子との比較も同様の共通点があり、したがって予想通り、遠藤盛助の作の獅子というのが結論
である。
広野神明神社の盛助獅子の舌に面白い細工があった。五所神社の獅子の舌とも同じ様に舌の真ん中の溝が
はっきり彫られ、注がれた御神酒が流れやすい様になっているのである。
獅子振りが口を開けて喉を鳴らしてお神酒を飲む様子が目に浮かぶ。
盛助獅子の作風を把握できる事により、これからも盛助獅子が発見する事になるだろう。
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