納めてから早いもので22年も経過した。
手本の獅子頭の作風から江戸期 勧進代の遠藤森助氏の作と思われる。
初代杉山の獅子も目の金箔が剥がれ、勧進代総宮神社の森助獅子の血まなぐ(まなこ)には及ばないが
相当な貫禄の形相になっている。
長井市勧進代総宮神社の森助獅子
五所神社の床の間で発見した、境内にある山ノ神神社の古い棟札には仏師としての遠藤森助の名前が
確認し、まだ認知されない森助作の獅子や仏像がある事が推測される。
「広報 あさひまち 1993 年5月号」より写真引用 この時点では初代の獅子頭と雌獅子の2頭で
獅子舞が行われていた。
「広報 あさひまち 1998年」より写真引用 新しい獅子頭(当工房の作)
宮宿の獅子舞 大型で幌幕 豊龍神社例祭とは別に元々は同所 東守寺の獅子頭だった。獅子舞の大型化
は最近行われた。
遠い朝日町杉山で森助作の獅子が存在し、西置賜の総宮系の獅子舞が伝えられ杉山神明神社独特の形態
に変容していく過程が面白い。西置賜の獅子舞の様に、獅子頭を頭上に掲げるのではなく獅子頭を肩の
高さより下の位置で持ち、獅子頭を前後し突き出す様に舞う。唯一、長井の下伊佐沢稲荷神社の獅子舞
が、同様の獅子舞スタイルだったが、今は廃絶してしまった。
![](https://ssl.samidare.jp/~lavo/shishi9/box/IMG_1087-2.jpg)
下伊佐沢稲荷神社獅子舞
また、杉山の神明神社の獅子舞の面白い特徴として、獅子幕にパイプを曲げてアーチ状にし取り付けた幌
幕である事である。朝日町宮宿の豊龍神社や大谷の獅子舞の構造と共通している。
かなり以前視察に訪れた時は大谷の獅子舞の幕の中にはお囃子が入り獅子舞とお囃子が一体化していた。
この様な獅子舞の様式は、北陸の獅子舞を彷彿させる。
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