昭和初期の総宮神社の獅子舞動画から撮影した写真が出てきた。
その貴重な古い動画を、テレビ局が放映する為に画像処理し番組放映している。かなり以前の番組だ。
恐らく、映像は昭和に新年号が変わった記念に作られた竹田吉四郎の作の獅子頭だろう。
映像からポラロイドカメラで撮影したので画像が良くない。
90年後現在の例祭と比較してみると幾つか気付くところがある。
大きな違いは警護掛りだ。
現在の様に、口を全開にせず獅子の口が閉じている。
たまたま、こういう形になったとは考えられない。
警護の前に人が居て獅子の腰を支えている様に見えるのだ。
現在の警護掛りのスタイル(警護が獅子振りの背中を拘束する形)は昭和期に入り、当時の警護松木
良夫氏(さざえむ)と当時の獅子振りの高橋長作氏が偶発的に創作した警護掛りだという一説がある。
しかし、再度確認すると松木氏と高橋氏が昭和初期の警護掛りを突発的に再現したのだという。
現在の警護掛りと違う所は、獅子が口を閉じている。そして獅子振り左手の外から獅子振りの足を監督
し神社方向の境界に入るか逃げるかを決定する役割がいる形である。獅子の口が閉じている様に見える
が角度によっては、獅子頭が強く後ろにのけぞっている事から、そう見えた可能性もある。
後日、ビデオテープ映像をデジタル化し検証したい。
その他、細かいところでは、太鼓打ちの交代。
現在は太鼓打の後ろから左足を差し入れ、手を差し出すのが合図で交代を促す。
画像では交代要員が二人、太鼓打ちの手元で待機している。
この映像では太鼓と打ち手の間に割り込む様な強引な交代が見られるのだ。
また、現在には見られない町切り提灯。以前は建元の六町の境にこの様な提灯が飾られた時代が
あったのだろう。
総宮神社神社の石段の数が一段多く、舗装工事の際に一段埋没したと聞いている。昭和初期は
獅子舞の「お神坂上り」も一段多い時代があった。国旗の位置も随分高い。
さらに細かい点では、警護の羽織紐も黒である。
現在、この映像の原本は行方不明。
今後、公的に貴重な文化財として恒久的に保護すべきである。
時代と共に伝統芸能は自ずと変化し継承していくのだ。
お神酒取り
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