元治元年(げんじがんねん)西暦1864年、再興の獅子頭が長井市總宮神社に所蔵されている。
再興とは破損修理と解釈される。その獅子には記名が無く、獅子箱に残されている。
通常、獅子箱は獅子頭新調の際に同時に奉納されると考えられるが、疑問に感じる点である。
神社に所蔵されている八頭の最古の獅子の記名は寛文十一年改(1671年)とあるが修理が重なり
年代を遡ると少なくても100年以上の1500年代に新調されたと推測している。元治元年の獅子も
寛文十一年改に習って「元治元年改」と記名しなかった理由は何であろうか?
元治元年の獅子も100年程経過し、修理したと仮定すると1700年代中頃となり、高橋小兵衛の活
躍した時代と重なる。總宮神社略史に「安永年間(1772〜1780)宮村に小兵衛と云う大工あり、
この小兵衛に命じて、また似せ造らせたり」とあり高橋小兵衛と考えられる。天明二年(1782)
に飯沢市之丞(後に平吹姓)が塗り、小兵衛が彫刻した鬼面が奉納されている。
以前から作者不詳の元治元年の獅子頭について調べていて特に獅子頭の後頭部、木口(獅子頭
の厚み)の部分に奇妙な波打つ様な文様が残され疑問に思っていた。
今回改て観察してみると、紐で木口に巻き付けその上から麻布を貼り補強した痕と解明した。
強烈な歯打ちの衝撃で、耳の穴付近から木口に割れが入る事が多々あり、その修繕補強を行った
なのだろう。
長年の疑問が解けて晴れやかな気分である。158年前、恐らく宮邑の塗師 斎藤某氏が苦慮しな
がら修繕を行ったのだろう・・その姿が目に浮かぶ様だ。
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