米沢市竹井の獅子頭
もう五年前もなる。2016年、置賜全ての調査を決意し、最先として鎌倉時代の獅子頭と伝えられる米
沢市浅川泉養院の獅子頭を取材する事に成功した。同年、米沢市「上郷郷土史(上)」に米沢市竹井の
黒田新兵衛家に伝わる獅子頭についての資料を見つけ、実際に取材を敢行し写真に収める事が出来た。
泉養院の獅子頭は昭和34年山形県貴重文化財指定に鎌倉期の県内最古の獅子頭として認定されている。
この資料は
泉養院の観音像と獅子頭(これは長井時代以前のもの)
年代は更に古いが、上郷地区で文化財に認定になっているものに、浅川泉養院に正観音像と獅子頭が
蔵されている。泉養院の開山は大同元年(806)と伝えられているので、今から約1200年前の平安朝
初期である。正観音は高さ50cmで作者不詳であ。獅子頭は高さ20cm長さ50cmで春日大仏師作で共
に1200年前のものといわれる。この獅子頭は片方の耳が欠けているが、これについて泉養院の住職
(鈴木宥義氏)の話によると、昔泉養院の獅子と亀岡一の宮獅子尊の獅子とけんかして片方の耳をもが
れた。あまりけんかをするので天王原に埋めたが、数年後双方和解したので原に埋めたのを掘り起こし
て祭ったとの事である。
尚、竹井・黒田新兵衛氏には、これと同じ年代頃のものと言い伝えられる獅子頭が蔵されている。尚、
泉養院の獅子頭は瑞雲院の制札と同じに山形県文化財保護協会から昭和34年10月1日、貴重文化財に
認定された。同院の観世音菩薩像は、大正2年文化財に認定されたという。(住職、鈴木宥義氏談)
「上郷郷土史の第二節 長井氏支配下の郷土 泉養院の観音像と獅子頭」より引用
鎌倉時代は西暦1185年から1333年までの148年間をいう。二つの獅子が、この時期に作られたとすれば
800年以上も前のものになり、その当時の置賜は想像もつかない別の世界だろう。
黒田新兵衛家の獅子頭の取材から長く時間が経ってしまい現在獅子頭の所在が不安だが、昨年末に置
賜民俗学会の梅津会長にこの獅子頭の保護対処について相談し、米沢市の方で調査が始まるかも知れない。
いつもの通り、黒田新兵衛家の獅子頭の類似した型の獅子頭を検索してみると、興味深い獅子頭が現れた。
和歌山県の丹生都比売(にうつひめ)神社の獅子頭で、扁平な形が同類を彷彿とさせる。そこから和歌山
近辺を調べると丹生官省府(にうかんしょうぶ)の獅子頭が二頭あり、室町時代の作とされる古い獅子頭
に共通の印象を見出した。今後、調査が入り黒田家の歴史を調べ、和歌山に遡れば面白い展開になるので
はないか・・。
推測して着色した獅子頭
「紀州の獅子と獅子頭展」和歌山県立 紀伊風土記の丘にて開催の企画ポスターより引用
下部の三獅子の中央の獅子が丹生都比売神社の獅子頭
丹生官省府神社の室町期の獅子頭(神社HPより引用)
パソコンから上郷郷土史とは別の資料も出てきた。
昭和34年・・60年前に調査されたはずだが、獅子頭のルーツや黒田家の歴史などには残念ながら触れられ
ていないのが残念だ。その当時であれば、先先代の話も聞けたのではないだろうか? 最後の手段は過去帳に
記された黒田家の歴史になるだろう。
2021.03.06:shishi9:[コンテンツ]
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