長井市十日町の金物店「鍋屋」は苔むす趣のある茅葺き屋根の古民家でもある。
その茅葺き屋根の維持も現在では茅葺き職人も減少し、茅葺き文化は絶滅直前で
ある。
その鈴木家に伝わる獅子頭と太鼓に遭遇した。
遭遇したと言ってもたまたま近くに居て、「鍋屋の獅子頭と太鼓が店の前に有る」
と言う情報が入り駆けつけた次第で有る。私にはそんなレアな獅子情報が集まる
アンテナがあるのだ。
獅子頭と太鼓は子供用の小振りのサイズで太鼓には太鼓を背負う台がついている。
太鼓台は修験者が仏像や楽器を背負う為の「笈=おい」の形であり、長井の獅子舞
の際に太鼓を移動するための伝統的な道具である。西置賜では長井市、飯豊町や白
鷹町の総宮神社系の獅子舞の一部で使われるが、足に車輪が付いたりリヤカーに乗
せたりと変化している。私の子供の頃は、ごっついオジサンが太鼓台を背負って獅
子舞の前を歩んでいた。現代になり、その労苦を惜しんで便利な道具を工夫して楽に
目的遂行する様になった。斯く言う私も太鼓台に車輪を付けて合理的だと喜んでいた
が、歳をとるにつれ従来の背負う形に戻すべきではないかと考える様になった。
さて鍋屋さんの獅子頭内部には微妙な記名が残されていた。
四角に七の屋号があり、
鈴木虎雄
昭和7年
求
明治卅年(明治30年)
獅子頭の作者の記名は無く、作風を見ると竹田吉四郎の作である。総宮神社所蔵の
獅子頭に昭和三年の竹田吉四郎の獅子頭が奉納されているので虎雄少年の父と何か
関係性があったのではないだろうか。
現在の当主の奥さんの話では鈴木虎雄氏は旦那さんの父で、大正15年生まれ(寅年)
で昭和7年だと7歳であり持ち主としては丁度良い年頃である。
太鼓台にも記名があり
明治四十年八月吉日 長井町宮 屋号ロゴ 鈴木氏・・・とあり太鼓には「直正」
と焼印が押されていた。
獅子頭より早く太鼓台が作られていたことになる。
まだ何か様々事情があるのだろう。
この太鼓と太鼓台のセットは獅子宿に二台あり、鍋屋さん、寺泉鈴木家でも目撃している事
から明治期「直正」の様な指物大工が存在し制作していたと推測される。
獅子頭と太鼓台を拝見し、鍋屋さんの店内を物色する・・そこには時代を超えた掘り出し物が
溢れている。
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