飯豊町小白川才頭神社の獅子頭

  • 飯豊町小白川才頭神社の獅子頭
2018年11月に取材した飯豊町小白川の五十嵐家に伝わる才頭神社の獅子頭を取材した。
前回取材した時は獅子頭は行方不明との事だったが、蔵で発見されたという連絡を地域支援の方から戴いた。

小白川地区には昭和35年に一ノ宮神社と猿田彦神社が合祀され小白川神社となり現在、獅子舞が執り行われ
ている。合祀前は一ノ宮と猿田彦神社でも獅子舞を行なっていて、その獅子頭を取材し、いずれも明治期の
伊藤彦右衛門の作だった事が判明した。








9月15日、ワクワクする気持ちを隠しながら五十嵐家にお邪魔して獅子頭と対面すると・・作者や年号が残
された記名は見つからなかったが、やはり伊藤彦右衛門の作と思われる。小振りの獅子頭で久しぶり、半世
紀?ひょっとして100年ぶりに蔵から出され眩しそうな顔付の表情を見せている。

寸法は高さ22.5cm幅23.5cm奥行き26cmと話に聞いたように子供の獅子舞用のサイズである。太鼓の張替
えの際、内部に江戸期の記名があったと聞いたので彦右衛門より古い彫師の発見を期待したのだが明治期の
獅子頭になる。今まで調査して飯豊町や長井市、白鷹町や県外で彦右衛門の獅子頭を14頭発見している。
その中で以外にも総宮型の獅子が8頭で独特な扁平天眼の飯豊型と造り分けをしている。五十嵐家の小獅子は
総宮型だが扁平天眼の飯豊型に創作されていた。

長井今泉の金比羅神社、飯豊の猿田彦神社や萩生中の目神社、中の泥八幡 田林家の彦右衛門獅子と比較する
と類似している。


長井市今泉の金比羅神社の獅子

飯豊町小白川の猿田彦神社の獅子

中の泥八幡田林家の獅子


昨年92歳でお亡くなられた当主の父親が、一ノ宮と猿田彦神社の大人の獅子舞と別に、子供達用に獅子頭や
太鼓を買い求め獅子舞を始めたと聞いている。獅子頭は荒い彫りで、目と目の間の階段状の彫痕や耳や唇の
シワ、鼻、軸棒の形状などに彦右衛門の特徴を残している。耳は破損し針金で留めて、ようやくくっ付いて
いるという状態で痛々しい。長い間の誇りが付着し困惑した様子で私に訴えかけているようだ・・後日了解
を得て洗浄修理を提案したいと感じた。

小白川地区には合祀前の二社や才頭神社の様に、屋敷神が多数あって、まだ獅子頭が眠っている可能性があ
る。五十嵐家の取材を終え地域支援の方に南田の八幡神社や小白川の奥を案内してもらった。まだまだ、姿
が見えない奥深い歴史の気配を感じる地域だった。



2020.09.16:shishi8:[コンテンツ]

この記事へのコメントはこちら

以下のフォームよりコメントを投稿下さい。
※このコメントを編集・削除するためのパスワードです。
※半角英数字4文字で入力して下さい。記号は使用できません。
今日 26件
昨日 51件
合計 114,667件