地域に詳しい方のありがたい計らいで一ノ宮神社の獅子頭の所在が判明し、獅子頭を拝見する事が出来た。
前に取材した小白川の猿田彦神社の獅子頭を調査した場所から1km北のお宅だった。
昭和35年に一ノ宮神社と猿田彦神社が合祀し新たに小白川神社に生まれ変わった。その時、両神社に獅子舞
がありそれぞれ獅子舞を行なっていたが、新生小白川神社では獅子頭を新たに新調したようだ。小白川神社
の奉納札には
初代の獅子 昭和47年8月 獅子頭毛植え替寄付 4,5千円
2代目 昭和52年7月 獅子頭代金35万円 製作者中津川小屋 太田康雄
3代目 昭和63年11月 獅子新調58万円修理5,5千円 幕38万円
平成元年8月16日 獅子幕新調
とあり初代の獅子頭の作者記名は無い。昭和35年合祀当時は現在の小白川神社から200m十文字側にあり移
転したので作者の記録は失われたのかも知れない。作風と年代を考えてみると獅子頭のタテガミを取り替え
るまでは20年程の年月を要する。昭和30年に椿の熊野神社の獅子頭を小松の佐藤太蔵氏が萩生諏訪型の獅子
を制作しているので同時期に小白川神社で新調した可能性が考えられる。
![](http://samidare.jp/shishi8/box/IMG_3501-rw.jpg)
移転前の小白川神社
話が横道に外れてしまったので戻す事にする。
一ノ宮神社の獅子頭は一見して明治期 伊藤彦右衛門の作という印象で、内部を見てみると作者の名前が明確
に陰刻されていた。どの獅子頭もこの様だとありがたい。
真っ先に内部の記名を確認すると記名があった。
![](http://samidare.jp/shishi8/box/IMG_1309-rw.jpg)
明治10年(1877)9月 椿村 伊藤彦右衛門の作だった。
獅子代 八円也
五円三分 井上作左衛門
貳円壱分 細谷才吉
とあり二人が獅子頭の経費を負担したと記載されていた。
![](http://samidare.jp/shishi8/box/IMG_3429-2.jpg)
この記名の筆跡に見覚えがあり調べてみると長井市花作の熊野神社の獅子頭の記名にある「代」が酷似して
いる。飯豊で塗られたものだろうか?
![](http://samidare.jp/shishi8/box/IMG_1315-rw.jpg)
![](http://samidare.jp/shishi8/box/IMG_1324-rw.jpg)
古い獅子が金箔が擦れて欠損しミゾの部分に金箔が残った様な仕様。このタイプは小白川神社の初代の獅子の
眉にも見られる。また額の丸い白毫や耳の下の薄めのコブ、幕穴を内部に貫通させずV型状に開けるのも彦右
衛門独特の癖である。
![](http://samidare.jp/shishi8/box/IMG_1330-rw.jpg)
彦右衛門は明治11年に、同町 深沼の山ノ神神社の萩生諏訪型の獅子頭を制作している。合祀した猿田彦神社の
獅子頭は長井総宮型で、違うタイプの獅子を何故か作り分けているので興味深い。八方睨み気味の目は萩生諏
訪型には大変似合っている。
獅子頭は顔のバランスも良く若々しく、八方睨み気味の目は萩生諏訪型には大変似合っている。タテガミはお
神酒で焼けて古びた黄金色に染められていた。修理痕もあるが良い状態で直ぐにでも幕付けして獅子舞渡御可
能な様子だった。
![](http://samidare.jp/shishi8/box/IMG_1327-rw.jpg)
![](http://samidare.jp/shishi8/box/IMG_1329-rw.jpg)
前幕やかなり古い獅子幕の切れ端が残されていて、現在の様な総宮型の波浪模様ではなく、獅子毛独特の「
毛卍文様」に波模様である。同様の獅子幕コレクションと似ていて明治中期頃と察する。綿のふかし布製の
前幕は記名入りで合祀前年作られた昭和34年と記された前幕はかなり使用感があり、合祀後も獅子舞を行なっ
ていたのだろうか。
![](http://samidare.jp/shishi8/box/IMG_1332-rw.jpg)
所蔵されているお宅の屋敷神には三つの山ノ神が祀られていた。最近、石の祠に作り替えたのだという。
飯豊の環濠屋敷には必ずと言っても良い程、大小の屋敷神が鬼門にあり禍(わざわい)から静かに見守って
いる。一刻も早く未知の病魔の収束を祈るばかりである。
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