また同所に伊勢の猿田彦神社の分霊を受けた猿田彦神社が大天伯山山頂に祀られてあり、その後河口家大宮様
の境内に移され、村社猿田彦神社として祀られた。そして昭和35年に生活改善の一つとして祭りの簡素化とな
り一の宮神社と猿田彦神社が合併となった。(飯豊町の歴史漫歩より引用)
飯豊町の獅子舞や歴史に詳しい集落支援員の方に調べて戴き、一の宮神社と猿田彦神社の獅子頭の所在が判明
した。早速、その方に案内していただいて猿田彦神社の獅子頭を拝見にお邪魔した。小白川地区で映像関係の
お仕事をされている著名な方のお宅である。

立派な祭壇や提灯で祀られた奥の部屋に、獅子頭は亀甲の金網を張った獅子箱に収められていた。
獅子頭は総宮系の黒獅子で眼に特徴があり、明治期椿の伊藤彦右衛門の作と直ぐに判明した。萩生の中の目八幡
の獅子に酷似しているが、彫りの硬さから彦右衛門の初期の作と推測される。ご当主は毎日、仏壇にご飯を供え
ると同様に獅子頭にもお供えして大事に祀っておられるので獅子箱からは出さずにと見分させてもらった。


八方睨みの大きな眼、その間に三階の段状の鼻筋、眉毛が三日月状になっている。鼻先きと比較して頭部が高い
構造で、耳の下のコブが7箇と所独で軸棒が4本と多い。コブの位置が左右違っていて意味深長な取付け方である。
彦右衛門は軸棒に記名を墨書きする事があり、こちらには見当たらないが作風を見ると間違いなく彦右衛門だ。
軸棒を握る位置がまた特に特別で、上から二番目と三番目を握り手首を一番下の軸に当てる、長井の成田八幡の
獅子頭と同様の握り方と推測される。獅子幕は既に古くなり処分され損失してしまっている。獅子頭の修理後か
らすると、かなり使い込まれている感がある。白馬毛のタテガミの取り付け方が豪快で、木地から貫通させてい
る。

明治期 小関久蔵の作の獅子頭
ご当主の亡くなった祖母が「ワカ」をされていて、一番奥の上段の間ら稲荷大権現の祭壇があり、小さな獅子頭
が飾られていた。ワカとは神おろし、仏おろしを行う盲目の女性で置賜で一番多く活躍したのは、昭和初期から
30年代頃と言われている。昔は医者の代わりに頭痛腹痛の相談や子供の発育、縁談、就職や進路といった悩み事
をワカに相談したという貴重な存在だった。(置賜の民俗26号 嶋貫幹子氏著「ワカについて」より引用)
その為だろう、こちらの奥座敷には祭壇や神棚、お十日様等が所狭しと祀られていた。その孫に当たるご当主が
映像や音響の最先端の機材に囲まれたスタジオでDVDの編集をされているギャップに驚く。逆に優れた感性が違
った形で遺伝されているのだろうと感じた。

お十日様
また新たな獅子頭発見の興奮を抑えながら、後日に一の宮神社の獅子頭拝見の案内をお願いして帰宅した。
日が長くなり、日差しも強くなり益々春到来を感じてきた。今年は獅子舞で何時も以上に疫病退散を祈念しなくて
はならない。
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