町長室の獅子頭

  • 町長室の獅子頭
飯豊町図書館所蔵の「広報いいで」を調べて獅子彫り師 渡部さんの記事をいくつか見つけた。

1.昭和48年5月25日号表紙写真である。
神楽系の型で赤獅子と思われる。眉間に菱形?家紋?があり金箔が押されている。 まさかとは
思うが、この様式は宮内の小関庄左衛門の特徴で、庄左衛門の作を参考にされたのだろうか?
 



2.昭和52年5月5日発行の広報誌の表紙一面に渡部 亨さんの獅子彫りの写真が掲載されている。
この写真は、以前このブログでご紹介した写真と同じものだった。



3.昭和59年5月29日発行の記事で、「小屋の渡部さんからの獅子頭の贈りもの」という表題の記
事で町に赤と黒の獅子頭一対が新庁舎記念に寄贈されたとある。渡部さんは20年ほど前から200
以上も獅子頭を手掛け、同じ小屋地区で太田康雄さんと一緒に制作しているとある。



渡部さんが獅子頭制作を始めたのは昭和39年頃となり、先月小松の獅子彫り師 佐藤太蔵さん生家
でお聞きした話と合致するのである。太蔵さんは獅子彫りの他、塗りや金箔、タテガミの植え付け
も行なった事なので、やはり渡部さんの獅子造りの師匠だったのだろう。

4.昭和63年1月25日発行の記事 昭和59年の記事の黒獅子と少し異う獅子頭の写真のようだ。
この記事では渡部さん親子の獅子彫りについての紹介である。「材料の栃や柳の大木を求めて、各
地の山々をある事から始まり、ノミで彫りあげるまで約一年。この間、実に根気のいる手作業が続
く。・・・これまで萩生・諏訪神社の荒獅子をはじめ、大小400個の獅子頭を彫り、置賜各地の神
社に奉納されている。(中津川小屋・渡部 亨さん、東一さん親子)」と説明文がある。




渡部さんの息子さんが獅子彫りの後継として制作されたという話は聞いたことがある。しかし残念
ながら渡部さんが亡くなって直ぐに息子さんも亡くなられたという。その後、渡部さんについての
話は不詳だが荘内の方の地方誌が彫り師渡部さんについて特集され、詳しい記事があったが私も行
方不明にしてしまっている。

また私の住む清水町の中井さんという元大工さんが、一時期渡部さんに弟子入りし獅子彫りを習っ
て新聞に取り上げられた。その方が高齢になり、渡部さんが亡くなってから米沢の妹さんから譲り
受けた獅子頭用の木地を、今度は私が戴いた事があった。その中に渡部さんが酒田市亀ヶ崎 十一
面観音の獅子頭制作をした際に練習したと思われる、珍しい制作途中の獅子頭木地が二頭あった。
現在獅子宿に展示している。


渡部 亨氏作の亀ヶ崎十一面観音の獅子頭

役場の方に渡部さんから寄贈された獅子頭の話を尋ね拝見の打診をしてみると、ありがたいことに
願いが叶ってしまった。昨年、飯豊町の獅子頭調査や発表会でお世話になっている事もあるのだろ
う。現在、贈呈された黒獅子は町長室に飾られているが、赤い獅子は調べてもらうと隣の部屋のキ
ャビネットに別に保管されていた。



飯豊町では主に黒獅子が親しまれていて、赤の獅子は中津川の川内戸若宮八幡神社と岩倉神
社で用いられている。渡部さんは米沢市六郷の東新山神社や白鷹町、地元中津川の赤獅子も
制作されている事から、赤と黒の獅子一対を町に寄贈されたのだろう。






町長室には後藤町長も執務中で、恐縮しながら拝見させていただいた。黒獅子がアクリルケースに
入って展示されているが、日に焼けたのか右唇が黒ずんでいるのに気づく。鼻に塗り直しの痕があ
り前歯の金箔も変色している。これは獅子彫りの鑑定癖でしようがない。どちらの獅子頭も立派な
良いツラ構えをして、町長室で町内の平和と五穀豊穣を見守っている。出来れば赤獅子も渡部さん
のご意志通り、再び一緒に飾って戴きたいものだ。

「広報いいで」の写真は飯豊町図書館所蔵の縮小版から引用ご協力戴きました。


渡部亨さんの前の赤と黒獅子と思われる一対の獅子が、小屋の渡部さんのご親戚のお宅に所蔵され
ていた事を思い出した。




飯豊町に寄贈した赤獅子と実に似ている

こちらは長井の草岡の獅子と似ているようだ
2020.03.04:shishi8:[コンテンツ]

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