伏見経済新聞 伏見・御香宮神社で「神幸祭」 見どころは巨大獅子舞「獅々若」と「みこし巡幸」
より写真引用させて戴きました。
今季の冬は災害的な暖冬と云われ、テレビでは連日新型のコロナウイルスの脅威を報道している。
今朝も、穏やかな日差しが我が家の庭の木々を照らしている。明日あたりから冬型の寒気団が南
下し例年並みの大雪と予報が出たので早速、今季未稼働の除雪機のバッテリーのお伺いをしてみ
た。除雪機のセルを回すとウントモスントモ言わない・・。やはりなぁ~バッテリーが上がった
なと諦めかけ、充電の心構えをしながらセルを回すとウン!とセルが一瞬動いた。古い除雪機なの
で勿体振る事を覚えたのだろうか。再びセルを試すと、嫌々エンジンが臭い排気を拡散しながら
稼動し始めた。
さて・・東京の獅子頭についてネット調査を試みている中で、京都は伏見の大獅子の写真が浮か
んできた。神社正式名は「伏見御香宮神社」で文政四年(1821)伏見奉行の仙谷大和守久功が
病気の快癒記念に寄進した。それ以来、木挽町青年団が獅子舞を取り仕切っているという。
大獅子頭の重さが尋常でなく雄獅子が61kg雌獅子が63kgだという。
ネット検索をしていると伏見御香宮神社の獅子舞について詳しいブログに出会った。
著者の行者橋 渡氏にお願いして転載の許可を戴いたのでご紹介したい。
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京都の伝統行事
これまでキチンとご紹介してこなかったので、時期遅れになりましたが、今年は御香宮神社神幸
祭最終日朝の神輿巡幸とそれに伴う様々な行列の出発の様子を飛び飛びにUPします(笑)。で、
第1弾は7時30分に出発の「獅子若」です。こちらが使われる大獅子(右が雄、左が雌)。
この大獅子は、1821(文政4)年に当時の伏見奉行・仙谷大和守久功が重病の全快祝いとして
御香宮神社に寄進したもので、重さが17貫(63.75kg)以上あると言われています。次は
担当の皆様が見えた時の画像
この時の時刻は7時20分過ぎ。ちなみに、この拝殿は徳川頼宣(家康の10男)が1625(寛永
2)年に寄進した建物で、割り拝殿という珍しい形式です。次は大獅子を少し違う角度から見た画
像。
予定では7時30分に神社を出発とされているので、てきぱきと尻尾が付けられ、獅子頭が整えら
れていきます
ですが、出発前に欠かすことのできない神事が始まったのが7時32分頃。神職の方のお祓い等を
皆様が神妙に受けます。
上の画像右から2人目の方が担いでいる茶色い物が、獅子頭を受ける時に肩当て(正式名不明)。
2枚目の画像にも沢山写っています。で、神事終了後、本殿の周りを全力疾走!
神社の門で記念撮影の後、予定より14分程遅くなりましたが、いよいよ出発です。
大獅子の説明板によると、当初、木挽町獅々若組が奉仕を一任されていたそうですが、現在はそ
の後身である木挽町青年団の他、乾青年団と札場会が巡行を担当しているとか。
別の貼り紙によると、7時30分から12時30分は木挽町青年団が、12時30分から15時
までは乾青年団と札場会が引き継ぎ、最初2コースに分かれて後に合流して巡行するようです。
ということで、最後は西に向かう一行。
人数がやたらに多いようにも感じますが、重い大獅子なので次々と交代する必要があるんでしょ
うが、壮観です(笑)。ということで、この後、猿田講社・武者組・神輿B班・稚児行列・神輿C
班をUPしていきます(JR桃山駅出発の神輿A班は画像が無く、OUTです)。
以上
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白鷹町山口の羽黒神社の獅子舞
大獅子の担ぎ方が、鮎貝八幡神社獅子舞とまさに共通しているように思える。伏見の獅子舞を原型
にして七五三の舞い方が修験者に創作され、反閇の四股踏みの形を舞踏化させた舞ではないだろう
か。四股踏みを舞踏化させるという発想は常人が出来得るものでない。武芸達者な一流芸術家級の
修験者が存在していたのかも知れない。
伏見の獅子幕の毛卍(けまんじ)模様も白鷹の獅子幕と同じである。ただし全国の獅子幕に多用さ
れている模様である。
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2023.10.05 (獅子宿店主)コメントありがとうございます。
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2023.09.22 (タイム風呂敷)神主様の件
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2020.11.10 (鬼喜來のさっと)追記
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2020.11.10 (鬼喜來のさっと)お返事有難うございます。
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2020.11.05 (獅子宿店主 渋谷)鬼喜來のさっと 様
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