米沢簗沢八雲神社の巨大獅子頭
簗沢(やなざわ)八雲神は米沢市内から小野川温泉へ行く途中から綱木方面に右折し、1km程でまた右折す る。500m行って左折し「麦わら帽子」という農家レストランの更に奥にある。 7月8日の午前中、神社の近所の方々が参道の草刈りをするので神社が開くというので訪れた。 「米沢の神社と堂宮 13 三沢地区編」が刊行され、その中に八雲神社の獅子頭について書かれてあった。 獅子頭の写真は一見して見覚えあるもので、私の好奇心を大いに揺さぶるものだった。 道路から石段を登ると石柱や幟旗の竿があり、山に向かって参道が続く。周りは夏草が生い茂り、草刈り後の 草の生ま生ましい匂いが漂っている。草払い機のエンジン音は無いので休憩中だろうか? また石段が見えてきた。少し息を弾ませながら、太い杉に挟まれた苔生した石段を登ると神社の屋根が見えて 仕事を終えた草刈り隊が境内で休憩中だった。 総代の方に連絡し顔出ししておいたので、話は早い。拝殿には大きな獅子頭が鎮座して私が来るのを待って いた。 ずんぐりとした、大きな目の赤い獅子には黒い大きな耳が下がり、アングリ口を開けている。 特に側面の血管が浮き出たような彫りに興味が集中した。 以前製作した白鷹町萩野の獅子にも、この手法が見られるのだ。その後米沢の信夫町 疱瘡神社にも同じ獅子頭 を発見している。その他、類似した獅子は米沢広幡の一之宮神社の大きな獅子頭、川西の時田 八幡宮の獅子に 見られる。 米沢の神社と堂宮13にはこの獅子頭の記名の年代と作者も記載されていたので私としては大発見だった。 名前が軸棒に刻まれているのは意外で、「米沢笹野源右衛門作」と読み取られるが、その後にも何か刻まれている ように見れるが不詳だ。 奉納されたのは安永六年(1777)五月十九日 願主の中に免許町 山崎次郎左衛門という名があった。 総宮神社略誌に 「 唐獅子の塗寄附 城下免許町 山崎与右衛門 萬延元年(1860)六月」とあり 山崎次郎左衛門は与右衛門と関わりあり塗師だった可能性がある。更に総宮神社の唐獅子の作者は源右衛門 という可能性も考えられる。 笹野の源右衛門とはどんな人物だったか? 実は先日、手掛かりを探しに笹野地区のお鷹ポッポの工房へ行って尋ねたが空振りだった。 笹野観音にも金色の獅子頭があり、以前ご紹介している。 関野の羽黒神社の獅子頭と酷似している事から、羽黒神社の獅子記名の「慶應年間の大仏師 桂八(郎?)」 の作と推測している。また笹野は地名でなく苗字とも考えられるが、源右衛門の研究は今後の新たな獅子頭の 発見に期待したいものだ。 神社には大きな獅子頭の他に多数の見事な絵馬があり、子供が獅子頭を持った天保四年奉納の絵馬もあった。 午後から同市 旧町名座頭町の長老 小山田信一宅にお邪魔して聞いた話では 簗沢奥には藩の鉱山があり銅や 鉛、錫が産出され簗沢地区が大いに栄えた時代があったそうだ。 草刈り隊の方の中に、この大きな獅子頭を祭りで出していた・・という証言もあり、獅子幕に代用したと思われる 唐草の風呂敷も廃棄寸前のゴミ袋から見つかった事もあり、以前は神輿の厄払いで集落を回ったと思われる。 獅子頭に巻く穴があり、針金が残されていた。獅子頭は破損や虫食いが見られ、特に耳の軸棒が折れて紐で 辛うじて付着している状態だ。 タテガミは脳天の大きな宝珠の根元と間隔をあけて眉毛の上に植えられている。 大抵白いヤクか白馬毛だが、黒か栗毛とは珍しく、置賜の獅子では初めてだ。 私には宝物に見えても住民の方々の、この米沢一大きな獅子頭への無関心さは 自国の古典文化への無関心へ通ずる。かく言う私も、獅子頭探求をする以前は同じだった。 何とかしてこの宝を次の世代へ繋がなくてはならないと思うのだが、その術が無い。
2018.07.09