獅子頭と獅子彫り師について」の講演企画のために、紙芝居を制作し初めてご披露した。偶然Google
Earthで獅子舞塚の地名を発見し 「高山村史」にあった「獅子舞塚物語」の一節を参考に制作してみた。
文章ではお固い話が、紙芝居にして脚色すると面白く歴史ロマンが広がる話である。
鎌倉期、旅の大仏師運慶が高山の黒川に差し掛かった時、急病で倒れ長沢五郎兵衛に助けられ看病され
た。そのお礼に一対の獅子頭を制作し旅立ってしまった。しかしその獅子頭が夜な夜な屋敷を抜け出し彷
徨うようになり五郎兵衛が誰かに危害を加えないよう石棺に入れて埋めてしまったという話である。その
場所には祠が建てられ獅子舞明神として信仰されてきたが、昭和の羽越水害の復旧工事で獅子舞明神が移
動する事となり、法印様はじめ氏子達が山形大学の教授に依頼して発掘調査を行ったが伝説の獅子頭の入
った石棺は発見されなかったという・・以前このブログでご紹介した話でもある。
川西町の獅子舞塚伝説
川西町高山の五郎兵衛屋敷裏に獅子舞塚があり、何時の頃からか獅子舞塚明神が祀られるようになり獅子
舞塚明神には獅子頭にまつわる伝説が伝えられています。
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ムガーシ 昔 7・800年もムガーシの鎌倉時代。京の大仏師 運慶が出羽国 東の置賜、高山さ通りかかった
時の話だ。旅の疲れかツツガムシにやらっちゃが、運慶さは急に寒気するは、目眩するはで道端で動けなく
なってしまったど。
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運良く畑仕事中の五郎兵衛が見つけて、家さワラワラ連れてって帰ったど。その晩から高熱出て三日三晩意
識不明だったんだど。現代であれば救急車呼ばって置総さ運んで緊急入院ってどごだべ。
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五郎兵衛の家内中の手厚い看護もあって、3週間もすると熱も下がり見る見る回復してきたど。
寝床から起きてきた運慶はこう言った
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「五郎兵衛殿 拙者 旅の途中で命の恩人への御礼も出来ぬ。じゃが、仏師のこの腕で長沢家を守る獅子頭を
彫って残したいのじゃが如何かのう?」と言うや否や三日三晩、け小山屋にこもって見事な勇猛果敢な一対の
獅子頭を完成させたんだど。その後すぐに運慶は旅支度をして「宮村さ行ぐー」と言い残し西に旅立ってし
まったんだと。
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さてさて、五郎兵衛は床の間にその獅子頭一対を家宝として大事に飾って拝もしておったげんど、何か獅子の
様子がおかしい。朝見るとほっぺたさ泥(デロ)ついていたり、鼻の頭さ擦り傷あったり、酷い時は草鞋ば噛
(カブ)ついでだったりと、どーうやら夜な夜な獅子だは騒ぎ回っていだな? ど・ 五郎兵衛は気づいだ。
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しかし、そうしているうちに獅子だは、昼間は床の間でオギンとしているが、夜中に二町も先まで遊びに出て
行って村人を驚かしたり、八幡神社の石灯篭を倒したり、悪さをするようになった。それに手に負えなくなっ
た五郎兵衛は、これはシタリと泣く泣く獅子頭を石棺に入れ裏の河原のそばに埋めてしまったんだど。その目
印に松の木を植え、タタリ無きよう祠を建てたそうだ。
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その後7・8百年経って昭和42年の羽越水害の次の年、五郎兵衛屋敷の側の洪水で荒れた黒川の河川工事が始
まったど。祠が工事で移動するとなり、高山の長老 法印様がお祓いをし、山大の教授に依頼して発掘調査を行
ったが、石棺に入った獅子頭一対はついーに見つからなかったど。
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ほだごでなー、オラだはもっと前の水害で流さっちぇなー、庄内まで行ったはー。酒田で拾わっちぇ、とある
神社で祀らレッター。
これが川西町の一番~古い獅子頭ど、獅子くりの話。
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獅子頭ば埋める話は他にもあって、同じく7・800年も前の話。
米沢戸塚山の泉養院の獅子頭は霊験新たかで流行り病を、ちゃっちゃど治してしまう霊力ある獅子だったど。
しかし、余りにキカナイ獅子でアラビダら手~付けらんにぇ獅子だった。住職と村人は、おっかなぐなって土
中さ埋めでしまったど。埋めてから、しばらくして「なーんだがタタリあるんでないべな~?」と心配になって
掘り起こして寺さ戻して祀ったんだど。
その後、泉養院のお祭りで獅子舞出て、隣の亀岡近くまで遊びに行ったら、亀岡の文殊一ノ宮獅子吼勇健尊の獅
子舞とバーッタリ鉢合わせになったど。
「どけろ!どけろ! そこどけろ! 亀岡の獅子め!」
「いやいやいや! 浅川の獅子ごそ、そごどげろ!~」
お神酒も入ってドロンケンになった浅川と亀岡の獅子舞は、押し問答の末ついに、つかみ合いの喧嘩になったど。
余りに激しい喧嘩で、浅川の獅子は耳を取られ亀岡の獅子は牙を取られたんだど。その後、争った場所が「耳取り」
という地名になって残り、獅子頭も怪我した痕が残っているんだど。
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伝承では総宮神社の初代の獅子頭は運慶の作という記録が総宮神社略誌に残されています。一説には総宮神社の
隣の馬頭観音も運慶の作。宮内の熊野大社の獅子も運慶。各地に運慶作の逸品が残されているようです。さて、
五郎兵衛屋敷から宮村に向かった運慶の目的は何だったんでしょうか?
トービント
まずまずの手応えを感じた作者は、紙芝居第三弾「卯の花姫伝説」の制作を構想中である。
因みに一作目は、出版 童心社 作 山路愛子 絵 渋谷正斗 「殿様からもらったごほうび」定価1900円である。
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