10月12日 南陽市宮内の池黒は皇大神社に訪れた。
前回お邪魔したのは例大祭前の9月15日頃で、準備の忙しい中に獅子頭を拝見できた。
明治期、同町の小関庄左衛門の作と鑑定したが、まだその他に2頭あるというので後日見せていた
だく約束をしたのだった。一昨年の最初の取材では平成17年 梅津勝男氏の獅子頭を拝見し、神社
には4頭の獅子頭が奉納されている。長井市以外で複数獅子頭が所蔵されているのは珍しく、関心
を寄せていた。
宮司さんに案内してもらい、杉の大木に挟まれた100m程の石段を上ると息が切れてきた。数年前
はこの位の階段は息さえ切れなかったものだが・・・。
2頭は宇津権九郎型の輸入ものの獅子頭だった。例大祭の運営は青年会が主で、明治期 庄左衛門の
作の獅子頭の引退後、昭和平成頃に入ってからのものだろう。どちらも耳が無くなっていた。
宮司さんには落胆した顔は見せない筈だったが、社務所に戻ると興味深い物を拝見する事が出来た。
朽ち果てた一片の木片の様だが、合祀されている羽黒神社の古い棟札である。今年、専門家に赤外
線カメラにて撮影し鑑定すると「 応徳三年(933年)出羽神 輿麿 敬白
韓志和(からしわ)鍛治三条小門宗近(かじさんじょうこもんむねちか)」と記名があった。
公に日本で最古の棟札は岩手県中尊寺の保安三年(1122)で、それより189年も遡る事になる。
韓志和という人物は飛騨の匠、彫刻の名手で平安時代初期に自作の木鶴に乗り唐土(中国)へ渡った。
飛騨の高山市中橋公園には韓志和を木鶴大明神の銅像にして残されている。
一方、鍛治三条小門宗近は平安時代の刀工で、日本刀が直刀から反りのある、わん刀に変化した時期の
代表的な名工として知られている。何故この様な人物達が、池黒の皇大神社棟札に名を残したのだろう
か? 棟札からは他に何も読み取る事は出来ないが、坂上 田村麿に由縁するとも言われているという。
中尊寺の棟札よりも古い、933年前の日本最古の棟札とは驚きである。長井の獅子舞の歴史も1000年と
云われ、置賜の時代ロマンに引き込まれそうである。