畔藤 熊野神社の獅子頭

白鷹町は畔藤(くろふじ)の熊野神社の獅子頭の話。

22日同所で開催された四獅子舞の祭典会場の「東陽の里グランド」のすぐ北にある神社である。
熊野神社の獅子頭の形を思い浮かぶのは地元の方でも少数だろう。現在二頭所蔵されている獅子
頭の他に、もう一頭発見された話はここで紹介済である。その二頭は昭和四年 竹田吉四郎の作と
記名があり、唇が割れた明治期の梅津弥兵衛の作と思われる。この獅子頭のデザインは飯豊町萩
生諏訪系で、同じ作風の獅子は西大塚薬師堂所蔵の竹田吉四郎の作と思われるが、梅津弥兵衛か
どうか自信が無くなってきた。



竹田吉四郎の作



梅津弥兵衛の作

100年ぶりぐらいに祭壇の奥から偶然出てきた黒い獅子は、神社の獅子でも白鷹町鮎貝系でも荒
砥でも浅立系でも無く、長井の総宮系でも無かった。最近高畠町の原田弥市の作と自信を持って
鑑定したのだが・・・。

この獅子頭について白鷹町立図書館で「東根村郷土史」畔藤 熊野神社の獅子頭について制作費ま
で書かれていた。

東根村郷土史より

また獅子舞は新戸(荒砥)の長太夫が始めた。獅子頭は「新庄伝五郎」の彫刻、塗師は会津の浪
人の「道心」、願主は三五右衛門であった。元文五年(1741)中に完成。刻料は二貫文ほどであ
ったが若衆が「寒念仏」をやって貯めた金を元金として寄付した。  以上

白鷹内や県内の新庄姓を調べてみたが、まだ確認できない。塗師は「会津の浪人・・道心」も謎
めいていて興味深い。畔藤にあった「寒念仏」というのも初耳である。畔藤の田植え踊りは休止
したと聞いているが、その事だろうか?






この古い獅子の耳が欠損し脳天の如意宝珠には台座が付いてタテガミが植えられている。右耳の下
に白鷹の獅子と同じ様に右手用の金属製の持ち手があるので七五三の舞だろうか。鼻の下にひげを
植えた跡や金で荒く描いたヒゲ、軸の合わせ方も特殊で面白い獅子頭である。

この記述のおかげで江戸期 元分五年の獅子彫り師 新庄伝五郎がデビューし、令和元年に日の目を
見そうである。
2019.09.29:shishi7:[コンテンツ]