訪れると神社社務所前では出店の準備やベンチで休憩する役員が忙しそうにしていた。
先ずは、神社に良い発見がある様にと参拝して、話を聞いてくれる人相の方を探す・・。
大抵の方々は親切に対応してくれるので心配ない。
ビールを片手にお若い関係者の方に獅子頭の写真を撮るお願いをすると、やはり気軽に
神殿前の獅子頭の前に案内していただいた。
すると「オラオラ勝手に獅子さ触らねでけろ!」と語気の強い声が掛かり、振り向いてみると
宮守の方だった。まだ獅子頭には触っていないので、自分の素性を説明し獅子頭についての
質問を矢継ぎ早に返した。勧進代の獅子は唯一、角力役が触る事が出来る神聖なものとして
素性の判らぬ者に触られるのを嫌うのだ。古くはこの辺の神社は厳格にソレを貫いていた。
もう少しで、ご年配の宮守さんの逆鱗に触れるところだった。
宮守さんの許可が出たので、本日の目的の獅子箱を調べさせて貰うと発見があった。
![](http://samidare.jp/shishi7/box/IMG_8525-2c.jpg)
長谷部吉之助の獅子箱に「明治五年」と年代が記されていたのである。
遠藤森助の獅子箱には奉納者の記名はあったが、年代や作者は無かった。
獅子頭が三頭あり古い順から(2019年)
1.遠藤森助氏の作 年代不詳 180年前と伝えられているので天保10年(1839)頃
2.長谷部吉之助氏の作 明治五年(1872)130年前と伝えられていたが147年前
3.鈴木康之氏の作 平成9年3月木地完成 昭和58年に依頼を受け14年かけて制作完成
後間も無く亡くなる(平成9年12月没)
![](http://samidare.jp/shishi7/box/IMG_8524-2c.jpg)
鈴木康之氏作
今年、五所神社で発見した奉納札にあった山神の御神体彫刻師「勧進代 遠藤盛助 眞則」
に天保14年と明記され同人物である事が濃くなった。他に遠藤森助(盛助)の作と思われる
獅子頭は作風から長井市花作の熊野神社の獅子頭は遠藤森助の作と考えていた。内部に記名が
あり「十四世 大渕代」とだけ記されている。この十四世は僧侶の何代目という意味である。
森助の作風は他に、五所神社、成田の善明院の小振りの獅子に残されている。
![](http://samidare.jp/shishi7/box/IMG_8517-4c.jpg)
長谷部吉之助の獅子頭奉納が明治五年と判明したので、長谷部作の三兄弟と伝えられている
勧進代総宮神社と白兎葉山神社、西高玉稲荷神社の獅子頭奉納はこの同時期と考えられる。