歌丸の天保九年の獅子頭

  • 歌丸の天保九年の獅子頭
長井市歌丸 貴清山 金鐘寺(きんしょうじ)所蔵の秋葉山神社の獅子頭と獅子幕を拝見した。
秋葉山神社は金鐘寺境内にあった神仏混合の時代の神社である。













獅子箱には記名が残され 天保九年 彌生(やよい)吉祥日(きっしょうにち)とある。彌生は3月、吉祥日は
陰陽道で何事も吉とされる日の意である。また裏には、世話人当村若衆 貴清山 什物 拾八世 大宗代 とある。
拾八世大宗代というのは住職に用いる特有の書き方で、18代目の大宗の代であるという意味である。わざわざ、
その位牌も見せていただいた。裏には寺院が消失し、天保五年に建立したと書かれていたので、天保九年の獅子
はその記念や寺院の火伏せの厄除けの意味もあったのだろう。





獅子頭は鬼を思わせるようなギザギザの眉で、鼻や唇は成田五十川系の特徴を見せている。軸棒の下の顎の下部
は小さめの半円で、顎の下から軸棒を握るように作られている。何処かで見た記憶があり、確認してみると飯豊
町添川熊野神社の古い獅子の作りと同じであった。その獅子の顎は軸穴部を作らず、一枚板状の顎の厚みに鉄製
の丸棒を通しただけの構造で、それは米沢笹野の源右衛門の作で用いられていた独特の手法である。



添川熊野神社の獅子頭



小出白山神社の獅子頭





 
金鐘寺に伝わる秋葉神社の獅子頭は、時代や作風を見ると宮村の高橋小兵衛の作と推測される。
獅子頭の握り棒は丸棒で3本あり、上部の二本が平行になっていて、上の棒を握って三番目の軸棒が手首の位置に
当たるように握る。上部の内側にある棒の役割が疑問になる。おそらく警護掛かりの際に上部の平行する二本の棒
に持ち替えて口を開けるのだろう。奥の棒が無いと手首が返り過ぎて大変である。こんな工夫を考える小兵衛は獅
子舞に余程熟知している仏師か、獅子彫りだったのではないだろか。
総宮神社所蔵最古の「寛文11年改」記名ある獅子には軸棒穴部の端に右手が密着する溝の彫りもあり、既に獅子舞
に適した高度な工夫が見られる。獅子舞の振り手と獅子彫りが密接に情報交換し、獅子頭の改良を重ねたのだろう。


大正九年の獅子幕
2019.12.14:shishi7:[コンテンツ]

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