玉庭の獅子が北陸との関わりが・・・

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川西町玉庭の松尾神社の獅子頭を調べていた。




玉庭には同一の彫り師と思われる複数の獅子があり、その作風の比較分析を行なっている。
いずれの獅子にも獅子箱にも記名が無く作風の一致は一目瞭然である。その際、松尾神社
の馬毛のタテガミに違和感じて良く見ると、白色に薄い栗毛と濃い栗毛色が混ざっている
ではないか・・・。




8月31日と9月1日に富山の獅子舞を視察してきたので気が付いたのだ
ろう。富山風の獅子頭のメッシュのタテガミは松尾神社の獅子だけである。


富山の獅子

玉庭の両皇大神社所蔵の二頭の獅子頭があり、その一頭に珍しく記名が残っていた。




享保20年(1735) 細工 穂保(ほぼ)定七 
         細工 大嶋市兵衛 とある。

その獅子頭は同町時田の八幡神社の獅子と類似した作風で、

享保13年(1728) 細工 大木甚吉 高橋健賢 塗師 小松原◻◻とあり「細工」と明記さ
れているのが特徴で、他の獅子ではこういう書き方はせず「彫刻」「作之」などである。玉
庭には400年前から上杉景勝の米沢移封に付いて越後(新潟村上)鮎川系の下級武士、足軽
が住み着き田畑を開拓し、大工や屋根葺き、細工物などの日雇いの仕事も兼業し収入を稼ご
うとしたという。玉庭村史「玉庭緒士組並知行御扶持面附」には御細工組が有り、獅子頭の
記名になぜ「細工」と書いたのか理由が推測される。両皇大神社の獅子と類似した獅子は時
田八幡の獅子の他に玉庭の朴の沢 熊野神社の古い獅子も類似している。玉庭酒町の羽黒神社
の側に普済寺がある。


朴の沢熊野神社

時田八幡神社

400年前鮎川氏と一緒に新潟村上から移ってきた寺で、調べてみると村上の大葉山 普済寺に
は有磯周齋の天井画や見事な彫刻があった。有磯周齋は白鷹町西高玉瑞龍院の彫刻も手掛け
ていて獅子頭も村上の上町に残している。西高玉稲荷神社の前夜祭で用いる大獅子の作者と
睨んでいるが、証拠になるものは何もない。しかし、いずれの獅子頭も神社彫刻の達人と思
われる。玉庭には穂保姓が一軒、大嶋姓が数軒、さらに数軒貝沼姓まで現れてきた。貝沼姓
といえば米沢市川井羽黒神社の獅子頭に記名があり、

彫刻司 米府 貝沼宣智 享保16年と陰刻されているのである。


川井羽黒神社

獅子頭の作者を調べていると、今まで調べた数多くの獅子頭が繋がってくることがある。
玉庭の獅子頭が越後や富山に関係している可能性が出てきた。さて両皇大神社の獅子の作者
の子孫は、その事を知っているだろうか確かめてみたい。



2019.09.27:shishi7:[コンテンツ]

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