飯豊町の獅子絵馬

  • 飯豊町の獅子絵馬
飯豊町椿の薬師堂と同所、本長寺に獅子が描かれた絵馬が二作品ある。
薬師堂の絵馬は、三人の子どもが小振りの赤獅子を持って縁側で獅子舞ごっこの最中の絵図である。
一人の男子は太鼓を小脇に抱えている。飯豊町の赤獅子では中津川の岩倉神社や上屋地若宮八幡の
獅子頭が赤く、耳の形は岩倉神社の獅子とそっくりである。当字(とうあざ)とあり椿の興五次郎
が奉納していて苗字が書かれてない事から江戸期の作だろう。背景に桜が描かれ、孫が健やかに育
つ様祈願し奉納されたと思われる。子どもの衣服が立派なので裕福な家だったのだろう。赤い獅子
頭である事が気になるが、依頼した絵師が米沢などの他所出身であれば納得出来る。



椿の本長寺は唐獅子で立体感があり、レリーフと思われ左官が制作した鏝絵(こてえ)の様だ。漆
喰を盛り上げて形を作り顔料で着色する技法である。明治32年長井の中道の中西良弥19歳が奉納と
ある。よく見ると剥離した部分に文字が見える。獅子に付き物の牡丹の花弁も描かれ、本長寺の再
建建設や修復に関わった職人が記念に奉納したのだろうか・・?


昨年、川西町西大塚の皇太神社の四枚の獅子神楽絵馬をご紹介した。改めて見てみると新たに気づく
事がありまとめてみた。古い明和と安永年間の絵馬の作風が同じで、文政と年代不詳の絵馬の作風も
酷似しているのだ。






川西町西大塚の皇太神社の拝殿に獅子舞神楽の絵馬四点が所蔵されている。その年代は明和5年、安永6
年、文政10年、年代不詳(文政10年と推測)の四点である。内容は当神社の例祭の獅子舞神楽の絵図を
絵馬に描いたものだろう。明和と安永の絵馬の奉納年代が近く作風も似ているので同じ絵師の作と考えら
れる。文政と年号不詳の作はやはり作風が似ていて年号を見ると同時期の春と秋に奉納されたと推測し、
優れた絵画技量から本職の絵師の作と思われる。古いもので250年を経過し退色が著しい。獅子舞の絵馬
には現在の獅子舞様式には見られない神楽系の獅子舞であり貴重な歴史的資料である。現在神社の氏子は
数軒で、そもそも神社は移住してきた個人の屋敷神から発展し信仰されたものと推測される。描かれてい
る獅子舞神楽は帯刀し、免許を持つ神楽の社中で地元のものではなく、他所から訪れた一団だろう。近く
では川西町東大塚や長井の総宮神社、小松の皇太神社などの神楽集団とも推測できる。
2019.01.28:shishi7:[コンテンツ]

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