禹歩について

「獅子舞と修験と熊野信仰」のシンポジウムの講演準備で見いだした「禹歩と獅子舞」についてである。

総宮系や白鷹の獅子舞について大いに関わる話である。

以前、羽黒町の「いでは文化記念館」で訪れて見た展示に山伏の魔法の歩行術というのがあり、修験と獅子

舞が密接に結びついていると実感したのである。

その後、大阪の犬鳴山の資料写真で山伏の背負う「笈(おい)」に鉦や太鼓を取り付けるタイプのものと

総宮系の獅子舞で用いる「太鼓台」が類似している事が判明した。







また、獅子舞の衣装の白装束の「行衣」は修験の修行衣装である。

そして今回のシンポジウムで更に調査し「禹歩(うほ)」に繋がった。ネットで禹歩と検索するとyoutube

で平安神宮の神官が禹歩を行っているのが見れる。まその歩き方が総宮系の獅子舞が伝播された川西町の中

小松の新山神社や朴ノ沢熊野神社の獅子舞と比較してご覧戴ければ分かる。



禹歩とは紀元1900年頃、古代中国の夏王朝の創始者 治水の功ある「禹」が足を引きずる様な歩き方で、

日本に伝わり陰陽道や修験道と混合し反閇(へんばい)と呼ばれ様々な儀礼や作法、あらゆる舞踏の基礎

に採り入れられたという。

その事から芸能や獅子舞の歩き方に照らし合わせてみると納得できる。

古代中国(紀元前一九〇〇年頃)の伝説の帝(夏朝の創始者)は足に障害があり、足を引きずるような歩き方

の呪術歩行法を禹歩という。禹歩は日本に伝来し反閇と呼ばれるようになり、様々な儀礼や作法、あらゆる舞

踏の基礎に取り入れられた。既に伝来していた陰陽道、日本で成立した修験道、儀式を整備した密教などの呪

術を始め、神道の歩行法、田楽や神楽、足踏みと跳躍とする念仏踊り、歌舞伎の六方、猿楽から明治になり改






称した能楽の足捌き、相撲の四股、江戸時代までの歩行法の難場(なんば)歩きなどに見られる。特に星辰信

仰による北斗七星の形の他、星の運行に合せた歩行など様々な足捌きをする陰陽道儀式には色濃く影響してい

る。             (奈良泰秀氏著 神社の伝承〈下〉足踏み・歩行の呪術より)

 反閇は六甲術とも称し、その作法の陰陽道の賀茂・安倍両氏の習伝するところで呪い(まじない)を唱えな

がら歩行すし大地を踏む所作(禹歩)が含まれる。
 
身固は陰陽道で一身の安全を祈って行う呪術作法である。(白鷹鮎貝系獅子舞の七五三歩行法 長井総宮系獅

子舞の六方・見返し・見渡しなどの歩行法)
 
撫物は陰陽師の用いる人形を依頼する人が身体を撫で回して、これを川に流す呪法も身固めの作法の一部(幕

洗い)

物忌 とは神事等の為ある期間、飲食(例 精進固め--鮎貝八幡神社獅子舞)言行などを慎み沐浴(沐浴 例 成田

八幡神社の獅子舞 )などして心身の穢れを除く。
 
潔斎(男女の接触・誕生・葬式)女人禁制 主に仏教や修験道において聖域から女性の立入りを禁じ宗教的儀礼や

修行の妨げになるという習俗である。  




難場歩き 同側型動作 古代武術の歩行術(例 飛脚や忍者の歩き方)獅子舞の所作に組み込まれている。獅子頭

を持った時の歩き方 「見返し 見渡し 千鳥 警護掛の「割る」という所作の時の歩き方等である。  

擬死再生とは、一度死んだ事にして再び生まれ変わる事。死ぬという事によって全ての罪や災難を亡ぼし穢れの

無い生命として生まれ変わる事。山岳信仰では山中には地獄や浄土の他界があるとされ登拝の為に山へ入ると

いう事は死んで地獄の責苦を果たし、最終的に浄土と入る事を意味すると考えられていた。擬死再生儀礼(獅子

舞)とは、こうした山岳登拝に見られる擬死再生の意義を、アトラクションとして一般庶民にも体験させる為に

行われた。白の死装束が獅子舞の伝統的衣裳であり、獅子舞終了後に野川で獅子幕を洗うという「幕洗い」で罪

穢れを流すという慣習に繋がってくる。世界各地の諸民族に見られる通過儀礼の特徴でもあり、獅子舞を経験し

成し遂げる事を修行とし村社会で一人前と認められる。

                        参考 五味 重著 「日本人の地獄と極楽」より

2018.10.25:shishi7:[コンテンツ]

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