なかなか見れなかった獅子頭・・・花作の熊野神社の例祭に訪れた。
高橋家に伝わる獅子頭なのだが、詳しい事は一切不明でこれから解明していきたい。
舌の作り方に特徴があり、軸棒が三本で、一番上の一本の存在が珍しい位置にある。
また長井の獅子には非常に珍しく、鼻の下・・唇の上部付近に漆の色が変わって修正した部分がある。
よく見ると毛穴を埋めたような跡があるので、ヒゲが植えていた可能性があると見た。
これは大発見である。
15日、神社に訪れると大正八年の記名のある神社幕が取り付けられ準備万端の様子。
道中の獅子舞は夕方の5時に宮入りに合わせ訪れると、境内で獅子舞が行われていた。
境内といっても個人宅の敷地の一角で蔵に囲まれて狭い。
個人の屋敷神を地域一帯で信仰しているのだろう。
伝統的に獅子振りや笛太鼓は白山皇太両神社の保存会有志で行なっている。
獅子舞の見せ場である警護掛かりが終了し、拝殿舞いが行われた。拝殿に神殿を仰ぐ入り口があり、獅子が
覗き込む・・最後に歯打ちをして終了である。
大きな神社では見れないアングルのシーンで大変趣があった。
さて、獅子舞が終わると拝殿に箱が置かれた。その上に獅子頭が置かれ、前幕を噛ませ二本の警護棒を獅子頭に
立て掛けられる。
獅子頭がもう勝手に動き出さないようにする所作と聞いたことがある。
お願いして獅子頭内部と獅子箱を拝見した。
獅子頭内部には
「 十四世 大渕代 」とだけ記名があった。
十四世とは僧侶の受け継いだ世代を表し、大渕の代に獅子頭を作ったという意味にとれるのではないか。
箱の内部には
明治二十八年十一月三日 獅子預人 五名の名前が記され
箱の表には
明治二十七年十一月三日 花作連・・とある。
明治二十七年に花作の連中が箱を作り、内部の総代方に翌年預けたのだろうか?
獅子頭の制作年代が明治二十七年頃となるが作者は疑問が残る。僧侶が獅子頭を彫ったとは考えられない。
作風から見ると、勧進代の総宮神社所蔵の獅子の作者である長谷部吉之助、か遠藤森助である。
遠藤森助については、彫師ではなく奉納者と考えられる。
眼に輪があり眉毛も拝殿彫刻の木鼻の獅子の眉であり、越後系の神社彫刻のプロの彫りと思われる。
「十四世 大渕代 」という何とも謎の記名は魅力的だが、難解な宿題を授かったようだ。
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2024.11.24 (獅子宿燻亭店主)コメント投稿ありがとうございます
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2024.11.23 (田村桂子)獅子頭
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2023.04.08 (モリヤ)お神楽についてですが
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2023.03.22 (獅子宿店主)黒沢の住人様
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2023.03.22 (黒沢の住人)感謝
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