12日の朝、飯豊町萩生の諏訪神社に訪れた。
修理が完了して獅子幕を取り付け中の獅子頭だったが、幕穴が足りず補修に来たのだ。
どうやら必要な穴を埋めてしまったようだ。
現在、神社には四頭の獅子頭がある。
その中に天明三年(1783) 奉納と記名がある生き獅子と呼ばれる獅子がある。
眉は雲形で眼は天を仰ぐ飯豊諏訪型の独特の獅子頭で、舞う姿が生きたような姿とされ、そう呼ばれた。
私の推測では作者は長井の宮邑の大工 髙橋小兵衛ではないかと思っている。
内部の彫りが尋常でなく、小鼻や眼球を極限彫り込んで軽量化している。その為衝撃に堪え兼ね
幾度の修理を重ね、記名の存在も不明になったのだろう。お隣の長井市平山、熊野神社の獅子頭に
高橋小兵衛の獅子頭があり安永9年(1780)の記名が残されている。その飯豊寄りの中地区の田林家の
「泥八幡」には平山熊野の高橋小兵衛の獅子と酷似した獅子を発見した事を以前報告している。
平山熊野神社の高橋小平衛の作
内部の記名
田林家の獅子頭
其の他、旧皇大神社の飯豊諏訪型の獅子には昭和33年塗り替えの記名があるが、其の他一切詳細不明である。
拝殿の写真の中に昭和34年例祭記念の写真があり、意外にも「獅子冠一同」と記されてあり記念写真は
塗替えの事業記念の意味も含まれているのだろう。
総宮神社の獅子舞からの系統なので獅子振りより「獅子冠(ししかむり)」だが、今は其の言い方は用いられていな
い。宮内熊野神社には「獅子冠り事務所」組織が今でも存在している。
長井の総宮神社でも獅子冠りと呼ばれていたが、何か引っかかるキーワードである。
総宮の獅子舞は獅子頭を頭上や額に接しさせ離さないようにして舞う。総宮系の小出、森や五所、川原沢も同じだが
成田、五十川、伊佐沢は頭には乗せず腕だけで獅子を操る。
「獅子冠」とは神楽獅子の様に獅子頭の中に頭を入れ舞った時代の名残の言葉ではないだろうか。
総宮神社略史の一節に「米沢宮村鎮守の獅子舞は伊勢山田八社の祭礼に似たり・・」とあり実際にその
宇治市の山田産土山田八社の獅子舞を見ると二人立ちの獅子で、獅子頭を被った形である。
さて、諏訪神社の倉庫(宝物殿)に獅子箱があるというので拝見した。記名があるかどうか今まで未調査だという
のだ。建物の奥に棚があ複数の獅子箱が安置されてあった。その中で記名のあったものが3台あった。
1.天明元年 御獅子箱 明治24年 新製
2.明治28年 天照皇大神宮
3.昭和9年
天明元年とある獅子箱は天明三年の獅子頭用と思われるが、獅子頭の新調以前に獅子箱を作るとは不自然だ。
とすると別の獅子頭あったのかも知れない。
盗難にあい所在不明の獅子頭の可能性があるが、唯一残っている写真の獅子頭は明治期の梅津弥兵衛の作に見える。
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2024.11.24 (獅子宿燻亭店主)コメント投稿ありがとうございます
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2024.11.23 (田村桂子)獅子頭
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2023.04.08 (モリヤ)お神楽についてですが
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2023.03.22 (獅子宿店主)黒沢の住人様
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2023.03.22 (黒沢の住人)感謝
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