米沢市上新田皇大神社の例祭である。
7月15日朝の9時頃にはもう気温が上がり、抜けるような青空の下獅子回りが始まった。
前日、獅子頭の取材で総代の黒田家にお邪魔している。
消防団の若い衆20人程が神社に集合し、幟を立て、参道の明かりの田楽提灯の杭を立てたりと段取り良く
テキパキ仕事を進めていた。
神社組織だけでは、例祭を運営出来なく消防団のメンバーに頼って居るのだという。
住職が無住の西光寺も黒田氏が管理している・・庭の池が見事だ。
獅子回しとは、獅子神楽が廃れて獅子の一行だけが地区を回り、氏子宅を訪れ獅子で厄を祓いお札を渡し、
お初穂料とかの名目で金一封を戴いて回る行事。米沢ではこの形が主流になっている。
人口減少で大人による獅子回りも維持するのが難しく、子供達に移行し、更にそれも廃れ獅子頭を神社に
展示するだけになり、やがて獅子頭も行方不明になってしまうのが最終ステージである。
信仰による獅子舞から行事へ格下げされ形骸化していく傾向にある。
生活の中に信仰が失われているので、祭りも信仰と結びつかない。
獅子の持つ霊力とか獅子の歯噛みする意味とかが、祭りを施行する側も受ける側にも伝えられないまま
廃れていく。
獅子が歩いた所は浄化され火伏せになり火事の災難除けになり、歯噛みは人の身体にある悪い物・・邪気を獅
子が食べて退治する。それも修験道や仏教の教えである。
我々の親や祖父母達の時代は生活の中で、幼子にその道徳観を伝えたものだった。
我々は、時代の流れだからと言って大事なものを失っているが気づかない振りをしているのかも知れない。
いったい誰がそれを伝えるべきなのだろうか?
それを努力して伝えるべきものだろうか?
静かな日曜の集落にドンドンドンと太鼓が打ち鳴らされる。
残念なことに用意した軽トラのカセットテープの調子が悪く音が鳴らないのだ。
祭りには笛太鼓のお囃子の賑わい、祭りの衣装の華やかさ・・子供達の歓声、女性の笑い声をイメージするが
それを皆で共有できる事は稀である。華やかな祭りを実現するには難しい時代に入った。
義理や義務感で祭りに参加している方も居るし、周囲で不幸があり自粛して居る場合もある。
炎天下の下、獅子回りの一行は黙々と家々を回る。
まだ午前中なのでお神酒も注入しづらいことだろう・・間も無く荒獅子に変貌するだろう。
数年前からリサーチしていた上新田の獅子回しの存在が判明し、獅子頭の取材もようやく出来た。
今年の「米沢編獅子舞探求の旅」の取材は大豊作である。
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2024.11.24 (獅子宿燻亭店主)コメント投稿ありがとうございます
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2024.11.23 (田村桂子)獅子頭
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2023.04.08 (モリヤ)お神楽についてですが
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2023.03.22 (獅子宿店主)黒沢の住人様
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2023.03.22 (黒沢の住人)感謝
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