神社総代にお願いして調査の為、獅子頭を拝見した。
というのも興味深い資料によるもので、お隣の川西町菊田に稲荷神社があった。明治42年に西大塚八幡神社に
合社になったが、文政八年(1825)、高橋甚吉作の獅子頭が神社に所蔵されている。
その昔、菊田稲荷神社の獅子舞は若連中の裸祭りと称して、全員赤褌(あかふんどし)姿で獅子舞が行われ
た。
この獅子頭は最上屋の祖先、高橋甚吉が総宮神社の獅子に似せて作ったという菊田稲荷に奉納された白木の重
い獅子頭。
後に再び最上屋に買い取られ塗りを施され、再び今泉の稲荷神社に移されたという曰くある獅子頭である。
形を見てみると総宮系ではなく、成田五十川系の形で眉毛や白毫の金箔が無く中途半端で不自然である。
その割にタテガミはしっかり植えてあるので、思い当たる誰かの勧めで行った塗りと推測している。
最上屋の祖先、高橋甚吉という人物は獅子彫りとして、初めて浮かび上がって来た。
ある程度数をこなさないと獅子の形にはならないが、前歯の曲線や各所に手慣れた部分があると感じられる。
文政の時代、髙橋姓で彫師といえば総宮神社や成田五十川の獅子頭を獅子頭を制作したと推測している
髙橋小兵衛の名が浮かんでくる。高橋小兵衛初期の作とか子孫や弟子の可能性もあるだろう。
さて、稲荷神社は明治13年の今泉大火で類焼してしまった。神社神殿は西大塚の岡地区にあった十二神将の神殿を
譲渡されたものと最近西大塚薬師堂の総代の話から知った。その神殿は木鼻の獅子や象の彫刻も立派である。
一番古い明治期と思われる小関久蔵の作の獅子頭は何回か当工房で修理しているが、明治初期の飯豊町萩生の伊藤
彦右衛門と思われる作風の獅子頭を確認した。
やはり西大塚薬師堂総代からの話で、昭和初期竹田吉四郎の作の獅子頭が今泉稲荷神社から薬師堂に譲渡され
獅子舞も今泉稲荷からの師匠に習ったのだという。
次は飯豊町中津川の渡部 亨氏の作の獅子頭でおそらく昭和61年に江口漆工房で大修理を行っているのは確か
だが新調の時期は不詳である。
最後に平成10年飯豊町小白川の五十嵐藤二の作の獅子頭である。デビューして間も無く破損し活躍の時期は短
かった。
当工房の獅子頭も子供獅子用の幕付きの獅子頭が当所横山氏が奉納されている。
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2024.11.24 (獅子宿燻亭店主)コメント投稿ありがとうございます
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2024.11.23 (田村桂子)獅子頭
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2023.04.08 (モリヤ)お神楽についてですが
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2023.03.22 (獅子宿店主)黒沢の住人様
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2023.03.22 (黒沢の住人)感謝
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