「飯豊史話」に飯豊町中(なか)の神社についての記述を見つけた。
現在、中地区では若宮八幡神社と豊中稲荷神社で獅子舞を行っている。
その記述には若宮八幡神社より古い八幡神社を田林家で屋敷神として祀っているとあった。
以前、例祭に獅子舞を行っており「御神輿一基、太鼓、御衣箱、毛槍の柄、警固棒、獅子幕、(相当
古い)獅子頭、竜頭一組、稽古用獅子頭二頭、が現在残っている」とある。
私にとってこの記述は宝物の地図の如く心惑わす物で、直ぐに連絡してみた。
しかし、現在のご当主には、この話は寝耳に水だった話でピンとこない様子、兎に角お邪魔して
お話を聞く事になった。
飯豊町中地区は長井市との境で、自宅からは車で10分程で到着する。
お話を聞くと、この記述の取材は、ご当主の父親か祖父からの聞き取りか不明だった。この記述に
関しては初めて知ったと言う事で納得した。
記録は不詳だが、こちらの八幡様はご神木を伐採した際の年輪から250年ほど遡るのではないか
という。
聞き取りの後、拝殿を見せて戴き、文政2年(1819年)199年前 神社建立の寄進札を見
つけた。現在の神社建立と田林家の神社創始は必ずしも重ならないが重要な証拠である。神殿の板壁
回りにも風化で墨書の消えた奉納板が沢山残っていた。
御神体は30cm程の丸い石で、その昔、水田で馬鍬をおこすと、その丸石が引っかかり、どうにもな
らず別の場所に安置すると次の年、いつの間にか馬鍬に石が引っかかっている。
不審に思い神おろしをしたら八幡様として祀るにというお告げがあったので「泥八幡」と言われる様
になった。
以後信者の数も増え地域全体の信仰を集める様になったが、その後あくまでも屋敷神として村社は若
宮八幡神社とは別に田林家で祀っている。
今回の取材は聞き取りだけで後日改めて獅子頭を拝見するお願いをした。
現在保管している獅子からは二頭だという。
若宮八幡神社の例祭の際、神輿や獅子頭を貸し出した頃があり、混合してしまったと思われる。
田林家の先祖は新潟からの移住開拓民と聞くので、どんなと獅子頭と出会えるのか楽しみである。
噂によると赤獅子の可能性がある。
神輿は拝殿に安置され、毛槍の柄や警固棒、太鼓は確認出来た。
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2023.04.08 (モリヤ)お神楽についてですが
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2023.03.22 (獅子宿店主)黒沢の住人様
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2023.03.22 (黒沢の住人)感謝
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2022.12.08 (獅子宿店主)もりや様コメントありがとうございます
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2022.12.07 (モリヤ)お神楽の写真が懐かしいです!
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