弥市は赤湯の烏帽子山八幡宮の獅子頭を彫ったという話を確認しに赤湯烏帽子山八幡宮に訪れ
た。二月十七日の午後からお願いして、こちらの新山宮司にお会いした。
八幡神社は過去に嘉永六年、安政三年、明治三年、そして平成十四年社殿が焼失し
さらに天保七年の大飢饉や安政五年のコレラの流行で多数の人命が失われている。
獅子の渡行により火伏せ疫病退散を祈願しての大規模な獅子渡行が行われた。
大勢の奉仕者により巨大な獅子幕は七十人がかりで毎年新調する。
幕の端と端で激しく引っ張り合いをするので長くは持たないのだろう。
現在、獅子頭は二頭あり、明治六年の「 武蔵住 谷 直隆 」の作と
平成十六年の「秋田 佐藤 克久 」の作が拝殿に鎮座していた。
武蔵とは現在の東京都、埼玉、神奈川県の北東部をいう。平成十四年の火災には難を逃れた
獅子頭は焼失の惨禍を逃れたが炎を浴びたので新調された。
重さが20~25kgと非常に重い。長井白鷹系の獅子頭は7kg前後に比べると三倍にもなる。
熊野大社や梨郷神社の獅子渡行系と赤湯烏帽子山八幡や深沼八坂神社、上山白鬚神社の大規模
獅子渡行のタイプに分けられる。逆に此の重さを軸にして幕を引き合う中心になるのだろう。
いずれも宮司の系派が関係しているようだ。後者は法螺貝が登場している。
また昭和五十三年「赤湯温泉ふるさと祭り」の創始と共に子供獅子舞いが考案された。
赤湯の後藤大二郎氏の段ボール素材による六頭の獅子頭が用いられ、六町内の子供達で
行われている。
度重なる神社焼失の為に記録が失われ、残念ながら弥市の獅子頭の確認は出来なかった。
以前こちらの宮司さんは深沼八坂神社や上山白鬚神社の宮司も兼務しておられたと言う事だが
獅子頭の作者についても発見は無かった。
弥市の獅子を探る路は途絶えてしまった。
また週末に寒気団が襲来するようである・・・三寒四温を繰り返し春を待つ。
いにしえの獅子彫り達の謎も徐々に見えては消え、また現れて来るのだろう。
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2024.11.23 (田村桂子)獅子頭
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2023.04.08 (モリヤ)お神楽についてですが
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2023.03.22 (獅子宿店主)黒沢の住人様
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2023.03.22 (黒沢の住人)感謝
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2022.12.08 (獅子宿店主)もりや様コメントありがとうございます
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